犬山
2003/05/10(SAT)
つい1週間前は岡山・鳥取に行っていましたが…今度は名古屋です(笑)「オケピ!」名古屋千秋楽と、豊橋でのALFEEライブに参加するため、名古屋に2泊しました。この日は豊橋でのライブですが、その前に犬山へ行くことにしました。最近、国宝・重要文化財の天守閣が非常に気になっているので、唯一国宝4城のうち行ったことのなかった犬山城へ登城するのが主な目的です。
金山から特急に乗り、犬山遊園駅で下車しました。そこから木曽川沿いを10分ほど歩くと、天守閣が見えてきました。針綱神社、三光稲荷神社という2つの神社を横に見ながらゆるい坂を登ると、左手に大きな住宅があります。ここは犬山藩主成瀬家の現在の住まい。この犬山城は全国で唯一、個人所有の城なのです。つまりこの城のある山まるごと、成瀬家の所有ということです。天守閣は下から見た印象に比べてかなり小さく、何となく人の家におじゃましているような雰囲気がしてしまいます(^^;他の国宝3城に比べ、ここは少々異質な感じがしました。
天守閣の狭い入口を見ると、いきなり急な階段があります。これも他の3城とはちょっと違う雰囲気です。急な階段を4つ登ると、天守閣の最上階に着きました。遠く、名古屋駅のJRタワーズも望める絶景ではありますが、手すりが低い上に木造なので非常に怖いです(^^;結局、ほとんど外に出ることができず、室内からズームを駆使して撮影してきました(笑)最上階には歴代藩主の肖像が飾られ、3層目では各地の城郭の写真展示、2層目では甲冑や書状などの展示がありました。幕末時における全国の城主と石高のリストがありましたが、この犬山藩は3万石と下から数えた方が早いくらいの小さな藩でした。ちなみにトップは加賀藩、その他上位には水戸、尾張、紀州の御三家、東北の雄藩仙台、幕末の政局の鍵を握っていた薩摩、萩、会津、熊本、土佐、彦根、福井などがランクイン。先週、苦労して登城した備中松山城の松山藩は5万石と小藩であったことは意外でしたが、そういえば天守閣の規模は小さかったです。天守閣の大きさ・城内の広さは、石高に比例するのかな、と思うようなランキングでした。
一通り天守閣の見学を終え、今度は城下町の散策です。犬山城で「ワン丸手形」という共通入場券を購入していたので、まずはからくり展示館へ。その名の通り、からくり人形を展示している小さな博物館で、時間帯によってはからくり細工制作の実演も行われているそうです。せっかくからくり人形を展示しているのに、それらを動かすことができないのが惜しいところです(^^;この建物の入口は江戸時代の商家のものをそのまま残しているそうです。
次はからくり展示館の向かいにある犬山文化資料館へ。犬山の歴史紹介と、「犬山祭」の山車、祭りに使われるからくり人形の展示などがありました。ここのからくり人形は実際に操ることができました(笑)犬山祭に関する展示館はもう一つあり、それがどんでん館です。この面白い名前は、山車が方向転換する様子を表す言葉から取られたそうです。こちらにも山車の展示があり、祭りの一日を光と音で再現しているのが面白かったです。また、ここには愛知県内の祭りに関する展示もあり、昨年行われた「はんだ山車まつり」のグッズとして、キティのぬいぐるみが飾られていました(笑)
これらの博物館は城から真っ直ぐのびた通り沿いに点在し、明治時代に作られた山車蔵や古い民家なども残っています。決して大きな街ではありませんが、散策していて飽きなかったです。明治村やリトルワールドといったアミューズメントスポットと、城下町の雰囲気を兼ね備えているのは面白く、気に入ってしまいました。次回は再び、明治村にも行ってみたいな…と思いつつ、犬山駅へ戻りました。
犬山駅から名古屋駅へ。名古屋駅で新作の地域限定キティを探した後はいよいよ豊橋へと向かいます。しかしその前に、岡崎市内の本宿という駅で下車しました。ここある法蔵寺は徳川家康が幼い頃、手習いや漢籍を学んだとされる古刹で、境内には近藤勇首塚があります。
慶応4年4月、板橋で処刑された新選組局長近藤勇の首級は、数日板橋で晒された後、塩漬けにされて京都へと送られました。三条河原で再び晒されましたが、何者かによって首が盗まれてしまいました。この首の行方には諸説あり、新選組の関係者が密かに盗み出し、会津に転戦していた土方歳三の元に届けたという説と、近藤さんと以前から親交のあった僧に託され、この岡崎に埋葬されたという説が有力です。会津説では歳さんが天寧寺に墓所を作る際、首が入るくらいの箱を大事そうに抱えていたという目撃談があり、私もどちらかというとこの説を信じているのですが…この首塚は新政府の目をはばかって、台座を土で隠していたためいつしか忘れられてしまったそうです。昭和30年代になって発掘され、歳さんの名前が刻まれた台座が見つかりました。現在は胸像も建てられ、命日の4/25には供養が行われているそうです。なんとなく、こちらの説明も納得できるものがあります。しかし、会津では松平容保公によって「貫天院殿純義忠大居士」という戒名ももらっていますが、こちらにはそういった記録がありません。僧に託したというのなら、戒名くらいつけてもらっていてもいいんじゃないかな?とちょっと疑問に思いました。
法蔵寺を後にし、豊橋へ。会場の豊橋勤労福祉会館の最寄り駅までは豊橋鉄道というローカル線に乗ります。しかし、この車両、何処かで見覚えが…。車両の製造工場を見ると、なんと私の地元(笑)毎日乗っている電車と全く同じ造りだったので、なんだか不思議な感じがしました(^^;ライブ終了後は友達と金山まで戻り、軽く夕飯を食べてきました。そして翌日は長野経由で東京へと帰りました。
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| 近藤勇胸像(岡崎市) | 近藤勇首塚(岡崎市) |
(C) MOTOKO