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テーマ:幕末、その他

宇和島

2003/07/13(SUN)

 前日は松山に宿泊しましたが、丸亀から戻ってきたのが遅かったのと、雨が降り出していたのとで道後温泉へ買い物に行っただけで観光はまったくしませんでした(笑)ただ、ホテルからライトアップされた松山城が見えていたので、天気がよければ…と残念に思いました。この日は松山から宇和島へ行きます。宇和島へは特急で1時間半もかかりません。雨を気にしつつ、出発しました。

 宇和島到着は11時過ぎ。なんとか天気は持ちそうです。観光協会で自転車を借り、宇和島城へ向かいました。ここも山頂に城があり、ロープウェイなどはありません(^^;しかし、自転車やバイクが通れるゆるい坂道があったので、多少は楽でした。

 まずは天守閣の下にある城山郷土館を見学。小さい資料館ですが、展示品は多く、入場無料です。特に興味を引いたのは第二次大戦時に宇和島上空からばら撒かれた空襲予告のビラ。宇和島、津などの都市が列挙され、そのうちの最低4つを爆撃するので避難しろ、という内容のものです。こういった資料を見たのは初めてだったので、非常に興味深く見学してきました。また、ここには潜水艦に衝突され、沈没した「えひめ丸」のミニチュアも飾られていました。

 苔生した石段を登ると、宇和島湾が一望できる展望所があります。後ろを振り返ると、天守閣が見えてきました。宇和島藩は石高10万石とそこそこ大きな藩ですが、天守閣は意外と小さいものでした。しかし中は見た目よりも広く感じられる3層構造で、最上階からは宇和島湾、宇和島の街並みを一望できました。宇和島城に登城したことで、重要文化財指定の天守閣は福井の丸岡城を残すのみになりました(笑)

 宇和島藩主の伊達家は伊達政宗の長男、秀宗が藩祖。政宗から幕末の藩主宗城(むねなり)までの史料を集めた伊達博物館に行くことにしました。それは天守閣から山を下り、自転車で数分走ったところにありました。この敷地は伊達家の屋敷跡なので、庭園がわずかに残されています。博物館は3フロア4展示室と広めで、甲冑や刀剣から能面、石仏まで多岐にわたった展示内容でした。敷地内に銅像が立てられている伊達宗城は「四賢候」の一人で、高野長英や村田蔵六(大村益次郎)を迎えたり、内政の改革や軍備増強などを行うなど、先見性のある藩主でした。博物館内には勝海舟からの書状など数点が展示されていたものの、ほとんど幕末ネタが拾えなかったのが残念です(^^;

 続いて見学したのは天赦園。博物館に隣接していて、こちらも伊達家の屋敷跡であったことがうかがえます。園内には茶室が2つあり、「天赦園」の由来を刻んだ石碑は三条実美によるものでした。また、ここでは宇和島を訪問した西郷隆盛と、伊達宗城の会談が行われた場所でもあるそうです。園内は落ち着いた雰囲気で、かなり和みました。

 そこから自転車を5分ほど走らせたところに大村益次郎寓居跡があります。石碑があるのかと思って地図を片手に探しましたが、見つかりません。ふと上を見ると、とある民家の壁に説明書きが貼られていました(^^;観光案内の地図だけでなく、近くの道には「大村益次郎→」と書かれた案内板まであるのに、石碑がないのはちょっと意外でした。

 宇和島から松山へ向かう特急は1時間に1本なので、列車の時刻を気にしつつ次の目的地に向かいました。次に向かったのは和霊神社。ここの鳥居は石製のものとしては国内最大で、境内も広いです。しかし、ゆっくり見学をしていると特急に乗れなくなりそうだったので、一通り周辺を散策して宇和島駅に戻りました。すると、急に雨が降り出しました。まるで私が観光を終えるのを待っていてくれたかのようです(笑)無事に宇和島観光を終え、松山に戻りました。松山では1時間ほどしか時間がなかったので、大街道をぶらぶらして空港へ。松山はほとんど観光できなかったものの、充実した2日間でした。

宇和島湾
宇和島湾
宇和島城
宇和島城
伊達博物館
伊達博物館
天赦園
天赦園
和霊神社
和霊神社



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