福井
2003/07/21(MON)
前々日、前日と福井市内に宿泊していたにもかかわらず、市内の散策は最終日まで全くできませんでした(^^;当初の予定では、最終日に永平寺に行くはずでしたが、前日に行けてしまったのでこの日は半日空いてしまいました。そこで、今年の大河ドラマ「武蔵」がらみで、小次郎が剣の修行をしたといわれる一乗谷まで足をのばすことにしました。
一乗谷へ行く越美北線は、わずか一日9往復。9時の次は13時というとんでもないダイヤです(^^;13時の電車に乗ると、現地で2時間ほど時間が取れるので、それに乗ることにしました。まずは福井市内の散策です。ホテルから歩いて数分の福井城址へ。建物は一切残っていません。明治の廃城令で取り壊したのかと思っていましたが、実際は戦国時代に消失して以来、再建されることはなかったそうです。天守閣の跡は石垣のみが残され、草が生い茂っていました。
福井城址に隣接する福井城内堀公園には、幕末の福井藩を支え、「五箇条の御誓文」を起草したことでも知られる三岡八郎(由利公正)の銅像があります。よく知られている写真にそっくりの銅像でした。銅像の裏手にある神社は佐佳枝廼社。祭神は福井藩祖の結城秀康、藩祖の父である徳川家康、そして幕末の藩主松平慶永(春嶽)です。ビルやホテルの建ち並ぶ一角にぽつんとある神社ですが、多くの参拝客でにぎわっていました。
佐佳枝廼社横のフェニックス大通りを越え、芦原街道の1本手前の細い道の角に、橋本左内宅跡の石碑を見つけました。一般の住宅の庭先にあり、産湯の井戸もそのままに残されています。橋本左内は幕末の福井藩士で、熱心な開国論者でしたが安政の大獄で捕らえられ、江戸の伝馬町獄舎で斬首されました。安政の大獄で斬首されたのは左内以外に、頼三樹三郎、松蔭先生など8名。獄舎で病死した6名を合わせて、亡くなった人々は14名です。ふと、2日前に行った敦賀で見聞きした、天狗党の処分のことを思い出してしまいました。教科書では安政の大獄〜桜田門外の変については必ずと言っていいほど取り上げられていますが、天狗党の処分については全くと言っていいほど記述がないのが残念です。明治維新は非常に多くの犠牲のもとに成ったものであることを改めて実感しました。また、私は自分の興味がある部分だけを重点的に調べてしまう傾向があるので、もっと広い視野を持って勉強していかなければダメだな…と思いました。
芦原街道に面した福井大仏を拝観し、かつては北半分が木材、南半分が石材でできた奇橋として知られた九十九橋を渡って足羽川沿いを散策しました。橋本左内宅跡から15分ほど歩いたところには「左内町」という名のエリアがあり、そこにある左内公園内に墓所があります。左内は伝馬町で斬首された後、小塚原の回向院に埋葬されましたが、4年後にこの地へ改葬。その際、墓石も持ち帰られましたが、それは後に回向院に戻されました。現在、回向院の門をくぐってすぐ右手にある墓石がそれです。公園内には、銅像もあります。なかなかりりしい表情をしていました。
一乗谷方面への電車の時間があと30分ほどになったので、三岡八郎宅跡と横井小楠寄留宅跡の石碑を探しに行きました…が、見つかりません。とりあえず、福井に戻ってきてからもう一度探すことにして、駅近くの柴田神社をちょっとだけ拝観して福井駅に向かいました。
福井駅からバスのような電車で約10分。一乗谷駅で下車しました。事前に入手していたパンフレットで、駅前に無料で使える自転車が置かれているとのことだったので、それを利用しました。最初に向かったのは駅からほど近い一乗谷朝倉氏遺跡資料館。朝倉氏はもともと兵庫県養父郡の豪族でしたが、足利朝時代に福井県へ入り、やがてこの地域一帯を支配するようになりました。朝倉氏の支配は5代に渡って続きますが、織田信長の軍勢に攻められ、滅亡しました。京都を模したという城下町の遺構が近年発掘され、「400年間埋もれていた遺跡」として研究・調査が進められています。この資料館は、発掘された調度品の展示を中心に、朝倉氏の栄華から滅亡までをわかりやすく紹介しています。この時は企画展「戦国時代内と外」が開催中だったので、それを見学しました。戦国時代に海外で発行された世界地図やザビエルの肖像画、京都で発掘されたキリシタンの墓石など、珍しい展示に見入ってしまいました。世界地図は特に面白く、古いものは琉球と日本、2つの島しか描かれていませんが、ザビエルが布教に来て以降のものはザビエルが滞在した鹿児島、山口などの地名が登場し、九州と本州が描かれるようになりました。後には土佐や都、江戸などの地名が加わり、四国も描かれるようになっていきます。企画展は常設展の4倍の入場料でしたが、貴重な資料を見学できたのでかえって得した気分です(笑)
今度は駅を通り越して逆方向へ自転車を走らせます。左右には一乗谷朝倉氏遺跡の発掘作業場が点在していました。ほとんどは無料で見学できますが、唯一有料の復元街並も見学しました。ここはその名の通り、武家屋敷や商家、農家を復元した施設です。左半分が復元施設、右半分が発掘作業中の遺構になっているのも面白いです。復元とはいえ、非常に精密に再現された街並みは、まるで戦国時代にタイムスリップしたかのような雰囲気でした。
復元街並と道路を挟んで向かい側には朝倉義景舘、湯殿跡庭園、諏訪舘跡庭園といった遺構があります。庭園はかなり大きなもので、往事の姿を偲ばせるものでした。一通り見学を終えたので、帰りの電車の時間を気にしつつ、駅へと戻りました。一乗谷駅から朝倉氏遺跡まではずっと緩い上り坂で、自転車のペダルが非常に重かったのですが、帰りはその逆。かなり早く駅に戻ってきてしまいました。なので、駅近くにある廃寺、西山光照寺の石仏を見に行きました。駅から見える距離にありますが、線路を横断するので遠回りしていかなければなりません。ほとんどが2mを越す大きなものでした。この石仏周辺は野生のイノシシが出て水田を荒らすらしく、高圧電線が張り巡らされていたのも印象的です(^^;
一乗谷駅から電車に乗り、福井駅に戻ってきました。空港バスの時間まで1時間半ほどあるので、まずは養浩館庭園へ。松平家別邸を庭園に改修したもので、当時の建物は戦災で焼失してしまいましたが、10年前に復元されたものです。窓の下には池が広がり、ゆったりとした時間の流れを楽しむことができます。市内中心部にありますが、ここだけ別世界のように静寂が広がっていました。
つい和みすぎてしまったので、時間がなくなってしまいました(^^;しかし、どうしてもあきらめきれなかったので三岡八郎宅跡と横井小楠寄留宅跡を再び探しに行きました。横井小楠寄留宅跡はあっさりと見つかったものの、三岡八郎宅跡はどうしても見つかりませんでした。地図に書かれていた場所の周辺が工事中だったので、もしかしたら移設されていたのかもしれません。しかも散策に時間を費やしすぎてしまったために、空港バスに飛び乗る羽目になりました(^^;時間が余ったと思っていたのは、誤解だったようです(笑)まだ見残してしまったところが多数あるので、近いうちにまた、福井を訪れたいと思います。
(C) MOTOKO