敦賀
2003/07/19(SAT)
前泊地の京都から新快速で米原まで移動し、米原からは特急「加越」で敦賀へ。1998年の年末に行って以来、5年ぶりの敦賀です。天気予報では降水確率100%でしたが、なぜか晴れています(笑)なので、今回は観光協会で自転車を借りることにしました。最近、こういったサービスをしている観光協会が増えているのがうれしいです。前回はバスもなく、徒歩で港の方まで行ったので、非常に狭い範囲の観光しかできませんでした。なので今回は、かなり広範囲の散策をすることに。
敦賀駅から3kmほど自転車を走らせると、日本三大松原のひとつ、気比の松原への案内板が見えてきます。最初の目的地は、その松原の手前にある松原神社。神社と道路をはさんで向かい側には、水戸の武田耕雲斎ら天狗党墓所があります。天狗党は尊皇攘夷を掲げる水戸藩士らの一派で、左幕派の藩上層部と対立し、筑波山で挙兵した後、水戸藩出身の将軍後見職、一橋慶喜を頼りに朝廷へ尊皇攘夷を訴えるべく、上京していたところを捕らえられます。皮肉なことに、この征討軍のトップは一橋慶喜でした。彼らは寺に預けられ沙汰を待つことになりました。やがて幕府の田沼意尊の厳しい取調べが始まると、狭い鰊蔵の中に押し込まれてしまいます。そして元治2年2月、来迎寺境内に大きな穴が掘られ、次々に斬首されていきました。処刑は5日間にも及び、斬首された者は352名。行軍中、戦闘に加わったものは全員斬首という非常に厳しい沙汰が下りました。残りの者は流罪、謹慎処分となりましたが、謹慎中に病死した者も多数いました。処刑場となった場所には後に墓石が建てられ、手厚く葬られました。そして現在も香華が絶えることはありません。天狗党に関する詳しい知識をもっていなかったので、まさかそれほど多くの人々が斬首されたとは思っていませんでした。明治維新後、水戸藩出身者が誰も新政府に登用されなかったのは、この時に多くの人材を失ってしまったからだといわれているそうです。墓参後は隣接する公民館で資料をいただき、天狗党の犠牲者たちを奉っている松原神社を参拝しました。松原神社の境内には、彼らが押し込まれた鰊蔵の一部が移設されています。中は天狗党の資料館になっていましたが、鍵がかかっていて見学できませんでした。展示のガラスケースも何も入っていないものが多く、もしかすると現在は資料館としての機能を失っているのかもしれません。非常に残念です。
続いては気比の松原へ。前兆1.5kmにも渡る松原は国の名勝指定も受けています。松原の中は鬱蒼とした雰囲気ですが、目の前に海があり、白い砂浜と青い海、そして松のコントラストが鮮やかでした。
天狗党墓所の裏手にある来迎寺に立ち寄った後、自転車を走らせ港の方へ向かいました。みなとつるが山車会館や敦賀市立博物館など、見覚えのある建物が見えてきました。これらは前回見学したのでパス。博物館からすぐのところにある晴明神社を参拝しました。京都のそれに比べるとかなり小さく、見落としてしまいそうな感じですが、夏越の祓に使われる茅の輪が目立っていました。安倍晴明が研究のため、敦賀に滞在していた際の旧宅跡だといわれています。また、近くには昭和初期に建てられた日本聖公会敦賀基督教会があります。レトロな建物を楽しんだ後は、港の方へ移動しました。
敦賀港周辺ではフリーマーケットが開催されていたので、多くの人でにぎわっていました。赤レンガ倉庫などを見学し、気比神社へ。ここの鳥居は春日大社、厳島神社と並んで日本三大木造鳥居のひとつだそうです。境内には松尾芭蕉の銅像と句碑もありました。
一通り見学を終えたので、敦賀駅に戻りました。途中、歩道の至る所に銀河鉄道999のブロンズ像が置かれていることに気が付きました。駅から気比神社までの道を「シンボルロード」と名付け、片側に銀河鉄道999、もう片側に宇宙戦艦ヤマトのブロンズ像が設置されているそうです。どちらも詳しいストーリーを知らないので、像の横にある説明文を見てもよくわからないものばかりでした(^^;
敦賀駅で10分ほど待ち、特急「サンダーバード」で福井に向かいました。
 天狗党墓所 |
 鰊蔵 |
 気比の松原 |
 晴明神社 |
 赤レンガ倉庫 |
 松尾芭蕉像 |
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