会津若松
2000/4/30(SUN)
郡山から会津若松までは特急で1時間、普通電車だと1時間20分です。せっかく郡山に泊っているのだから…ということで、少し早起きをして8:35発の快速電車で会津若松に向かいました。そして会津若松に着いたのは10時過ぎです。
駅でレンタサイクルを借り、まず最初に向かったのは飯盛山です。前回と全く同じルートなのですが…駅から一本道なので、いちばんわかりやすいです。…にも関わらず…白虎隊仮埋葬地である妙国寺を通りすぎてしまいました(^^;坂を下って戻り、お参りをした後は旧滝沢本陣を見学して飯盛山に登りました。前回はスロープを使いましたが、今回はさざえ堂の方から登ることにしました。さざえ堂には一度入ってみたいと思ってるのですが…今回も通過してしまいました(^^;白虎隊士たちのお墓をお参りし、自刃の地からお城を眺めた後は資料館を見学しました。
白虎隊記念館は戊辰戦争の資料を中心に、幕末から明治にかけての会津を紹介している資料館です。以前、ここには晋作と西郷さんの人相書きがあったのですが…今回は発見できませんでした(^^;でも、最近急に新選組に興味を持ち始めたため、土方歳三の鎖帷子や島田魁の隊章などの展示品に見入ってしまいました。もう一つの白虎隊伝承史学館はあまり展示品は多くありませんが、斎藤一の写真や近藤勇の書状など…やはりこちらも興味深いものが多かったです。今まで新選組というと、なんとなくアイドル扱いされているような気がしてしまって、正直言って敬遠していたのですが…史実を知っていくうちに、そういうイメージが先行しすぎているのではないか?という気がしてきました。特に気になっているのは斎藤一で、近藤・土方・沖田といった面々に比べるとかなり自分の中ではマイナーな感じがしているのですが(^^;土方と決別し、会津のために戦いつづけたという史実に、かなりの魅力を感じてしまいました。「るろうに剣心」というマンガに一さんは出てくるらしいんですが…そういう類のものには全然興味がないので、いろいろと調べていくうちに実はけっこうメジャーだったということがわかりました(笑)でも、やっぱり実際の一さんの方がいいかな…と思います(^^;
その後は東山温泉の方へ抜ける道を走り、天寧寺に行きました。ここには近藤勇のお墓があります。山道を登ること10分…市街地を見渡すことの出きる高台に、近藤さんのお墓と歳さんの戒名が書かれた碑が立っています。このお墓は歳さんが会津へ逃れてきた際に建てられた物で、京都三条河原で晒された近藤さんの首が埋まっているといわれていますが…事実関係は明らかになっていないようです。ちょっと不便な場所にありますがお墓には花やお線香が絶えず、ここを訪れる新選組ファンは多いようでした。
また少し走って、会津武家屋敷を見学しました。ここは会津家老、西郷頼母の旧宅や陣屋などをそのまま移設し、見学できるようになっている施設です。資料も多数展示され、非常に充実した施設でした。中の茶屋で「天ぷら饅頭」を食べましたが…これも非常に美味でした(^o^)
次は桜が満開の鶴ヶ城へ。お花見客でかなり混んでましたが、まさに満開の一番いい時期だったので…ほんとにきれいでした。お城内部の展示は前回とは違って常設のみでしたが…とにかく桜、桜!といった感じで、展示よりお花見を楽しんできました(笑)
会津武家屋敷で時間を取ってしまったためか、この時点で15時をすぎてました。本当は藩校日新館にも行きたかったのですが…今回は帰りの電車の都合もあり、断念しました(;_;)しかし、中途半端に時間が余ってしまったので、七日町の方まで足を伸ばしてみることにしました。このあたりは、江戸時代の古い街並みの雰囲気を残していて、吉田松蔭先生が会津を訪れた際に泊った宿屋の跡、戊辰戦争の戦死者達を埋葬する寺などがあります。その中でも阿弥陀寺には斎藤一こと藤田五郎の墓があるということなので…さっそく行ってみることにしました。近藤さんのお墓とは対照的で、ごく普通のお墓でした。墓石には「藤田家」、そして「藤田五郎」と書いてあるだけで、「斎藤一」という名前はどこにも見つからないし、一さんのことを紹介するような案内板もありません。でも、私の中の一さん像とはぴったりだったので、なんだかうれしくなってしまいました。
少し商店街をぶらぶらしてから自転車を返却し、特急「ビバあいづ」で郡山まで戻りました。1泊2日の短い旅でしたが、非常に充実したものになりました。でも…一つだけ思ったのは、会津はとにかく長州を敵視してるなーということです(^^;確かに戊辰戦争では相当な被害を与えましたが…長州びいきの私にとっては、池田屋騒動や蛤御門でさんざん長州を痛めつけた事実を棚にあげているような気もしました。会津は徳川家と縁戚関係にあり、徳川の時代はずっと優遇されてきた藩なのに対し、長州は領地を減らされ、幕府にはずっと煮え湯を飲まされてきた藩です。今回、会津関係の資料をいくつか買ってきましたが、なんとなく思想に偏りがあるかな…という印象です。(とはいっても、薩摩ほどのギャップは感じませんでしたが(^^;)
(C) MOTOKO