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テーマ:幕末、その他

江差

2002/07/13(SAT)

 松前から約2時間、江差に着いたのは14時半ごろでした。こちらは松前のように自由散策ではなく、かなり短い時間で3箇所をまわることになっています。いろいろと行きたいところはあったのですが…今回は仕方がありません。まずは江差追分会館へ。江差追分に関する資料展示の他に、1日2回、会館内のステージで生の江差追分が聞けるというのが特徴です。出演者は日替わりで、この日は江差追分大会第20回チャンピオンの実演でした。江差追分を聞くのはこれが初めてでしたが、生の迫力に圧倒されました。最近では民謡を聞く機会も歌われる機会も少なくなっているように思いますが、こういったすばらしい文化は伝えていくべきだと感じました。

 この江差追分会館の裏手には、開陽丸終焉の地の石碑があります。開陽は旧幕軍が函館に持ってきた最新鋭の戦艦でしたが、函館から江差に向かう途中、暴風雨のために座礁・沈没してしまいました。ゆっくりと沈没したため、人的被害はなかったといいますが、この船が沈んでしまったため旧幕軍の海軍力は激減。松前への新政府軍の攻撃を防ぐことができず、函館への撤退を余儀なくされてしまいます。榎本や歳さんはここから沈んでいく開陽丸を見ていたとのことで、石碑の横にある松の木を歳さんが泣きながら叩いていたという話から「歳三涙の松」と呼ばれています。開陽丸の一部は後に引き上げられていますが、大部分は今もこの江差の沖に沈んだままです。もし開陽が沈まなければ、旧幕軍の篭城作戦は成功し、蝦夷で新たな徳川政権を樹立できたかもしれません。歴史に「if」はありませんが、復元された開陽丸を目の当たりにして、ふとそんなことを思いました。

 江差追分会館からは歩いて数分ですが、わざわざバスで向かったのは廻船問屋の旧中村家。江刺も鰊漁で有名ですが、その全盛期に建てられたいわゆる「鰊御殿」です。今は道路になっていますが、以前はすぐ近くに海岸線が迫っていたので、地下1階部分が船倉になっています。また、家の中に土蔵があり、扉を閉めると火災の際にも蔵からそのまま船に乗り脱出できるような構造になっているのも面白いです。地元のガイドさんの説明を聞きながら、見学してきました。

 そして、江差での最終目的地は開陽丸です。復元された船体は青少年センターとして利用される一方、沈没した開陽丸から引き上げられた品の展示も行われています。戊辰戦争に関する資料も数点あり、榎本や歳さんのあまり似ていない蝋人形まで展示されていました(^^;この開陽丸ですが、近く修復作業のため休館の予定があるとのこと。今回は無事に見学できてよかったです。

 開陽丸は「かもめ島」という小島に停泊しています。この島は、上から見るとかもめが翼を広げたような形をしていることから、その名前が付けられました。そして、このかもめ島には瓶子岩という奇岩があります。この岩は、ある翁に渡された瓶を海に投げたところ、そこに鰊の大群が集まり、その瓶が岩となって現れたという伝説があります。毎年7月に行われる「かもめ島まつり」では、岩に巨大なしめ縄を張る行事も行われています。ちょうど祭から1週間しかたっていない時期だったので、縄も新しいままでした。

 あまり一つ一つの見学をゆっくりできなかったのは残念ですが、だいぶ戊辰戦争の史跡を見て廻ることができたので充実感はあります。函館への帰り道はまさに戊辰戦争の戦場跡である中山峠。ここでの戦闘は「二股口の戦い」として知られています。ぜひ次回は、このあたりも散策してみたいところです。

開陽丸終焉の地碑
開陽丸終焉の地碑
瓶子岩
瓶子岩
開陽丸
開陽丸



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