函館
2000/10/13(FRI)
函館を訪れるのは約1年半ぶり…学生時代、最後に訪れたのがこの函館でした。そのときは1泊2日でも物足りなく感じたのですが、今回は2泊3日で札幌・小樽もまわるという…かなり無謀な旅程になっています(^^;なので、おみやげ購入は最終日に残し、とにかく見たいところを中心に歩くことにしました。
始発の函館行きに乗ったので、8時過ぎには空港に到着しました。普通ならリムジンバスで駅まで向かうところですが…前回の反省もふまえ、今回は路線バスで駅へ向かうことにしました。多少時間はかかりますが、路線バスだと市バス・市電2日乗車券が使えるのです。…翌日もなるべく観光したいがため、あえて2日券を買いました(笑)前回買った2日券はカード式でしたが、今回のはイカのストラップつきの券でした。バスの車内ではストラップは切れていると言われてがっかりでしたが、駅前のバス案内所へ行ったらすぐにもらえました。カード式の方が便利ですが、こっちの方が記念になってうれしいです(^^)
荷物をホテルに置き、まずは朝市へ。入ったお店はいくら丼がウリらしく、メニューはどれもおいしそうです。今回は「かにいくら丼」を食べました。予想通り、めちゃめちゃおいしかったです♪…というわけで、とても幸せな気分で函館観光をスタートしました。
まずは市電で「谷地頭」へ。10分ほど歩いて函館八幡宮を見学。そこからさらに歩いて碧血碑に行きました。「函館八幡宮」の名前が刻まれた石は、東郷平八郎の書だそうです。東郷といえば、戊辰戦争の宮古海戦時に官軍を率いていた人物です。…なんだか不思議な因縁を感じました(^^;そして碧血碑は、旧幕府軍の犠牲者を弔った石碑です。碑の裏側には、「巳己の年にこのことがありました。石を建ててささやかな気持ちを表します」と、大鳥圭介によるかなり曖昧な表現の説明文が刻まれています。当時の状況を考えると、こういう形でしか戦死した人たちの供養ができなかった…という事実が、かなり悲しかったです。早く五稜郭に行って、もう少しこの戦争のことを調べたいな…と思いつつ、山道を登って立待岬へ向かいました。この道は前回は冬季閉鎖中で、それを知らずに歩いてしまったのですが…今回はちゃんと車が通っていることを確認してから歩き始めました(笑)途中、函館の街を一望できる場所があります。前回は靄がかかっていましたが、今回は見事に晴れ。とてもきれいでした(^o^)
立待岬からの景色も、前回とはうってかわって見事でした。対岸には青森の大間崎も見え、まさに絶景でした。啄木一族の墓の脇を通り、再び谷地頭電停へ。まだ時間に余裕があるので、次の青柳町電停で降り、函館公園に行きました。ここでは、前回見学できなかった函館博物館を見学しようと思っていたのですが…臨時休館中でした(;_;)仕方がないので、歩いて護国神社へ。ここには新政府軍…いわゆる「官軍」の戦死者たちのお墓があります。神社の裏手にひっそりと墓地がありました。もっと仰々しい石碑でもあるかな…と想像していたので、ちょっと意外でした。亡くなった人たちの藩を見ると、松前、南部といった東北の諸藩が多かったです。これらの藩は早くから官軍に恭順を申し出ていたので、会津のように戦場と化すことはほとんどありませんでした。でも、薩摩や長州のようにその後の政府で要職についた人物はほとんどなく、私の印象では「かり出された」藩です。碧血碑ほどではありませんが、とてもさびしい感じがしました。護国神社へ続く坂道を下ると、高田屋嘉兵衛の銅像があります。高田屋嘉兵衛といえば、司馬遼太郎の「菜の花の沖」でも有名な、函館の一文化を築き上げた人物です。この銅像はかなり大きく、目立つのですが…彼の旧宅とはまったく別方向なので、ちょっとかわいそうです(^^;
末広町電停から、五稜郭公園前電停まで行きました。次の目的地はもちろん、五稜郭です。今回は五稜郭タワーに登り、上から眺めてみることにしました。タワーと公園は近いので、全体像を見ることはできませんが…星形になっているのはよくわかりました。こんなに正確な形を、160年以上も前に作る技術があったことに驚きです。タワーの売店で「箱館戦争」という本と五稜郭キティ(笑)を買い、函館博物館五稜郭分館に行きました。前回と展示は変わっていませんが、前回よりいろいろなものが興味深く見えました。特に興味深かったのは伊庭八郎の識別札と戦友絵姿(中島登:画)です。識別札の方は、所属の藩と氏名が刻まれた金属製の小さなプレートで、図録ではなぜか「迷子札」と書かれていました(^^;あの美剣士として有名な伊庭八郎が迷子かい?と、ちょっと笑ってしまいました(笑)そして戦友絵姿は…新選組隊士の生き残り、中島登が主に新選組隊士の錦絵とその紹介文を書いた絵巻物で、ここでは実物が展示されていました。普段、本などではバラバラに紹介されているので気づかなかったのですが…一番最初は勇さん、次が歳さん、そしてその次は山口次郎…つまり一さんです。この順番、かなり感動でした。
その後はバスで若松町へ。土方歳三最期の地に行きました。函館で幕末関連といえば、五稜郭と碧血碑とここでしょう(^^;しかし、歳さんの亡くなった場所はここ以外にも諸説あり、どこが本当の「最期の地」なのか未だにわかっていません。遺骨も、五稜郭の中にあるという説、どこかのお寺にあるという説、五稜郭から改装して碧血碑にあるという説があり…本当に謎が多いままです。それが逆に、多くの人を引きつける魅力なのかもしれませんが…。
歩いて駅まで戻り、少しホテルでゆっくりした後はバスで高龍寺と称名寺に行きました。高龍寺は、箱館戦争時に野戦病院となりましたが、新政府軍によって、治療中の会津藩士が惨殺されてしまった場所でもあります。ここには会津藩士を供養する「傷心惨目」の碑があります。また、称名寺は「燃えよ剣」で歳さんのお墓があると紹介されたお寺ですが、実際には墓ではなく、新選組隊士の供養塔があります。昔は新選組隊士の墓があったとのことですが、明治時代の函館大火の際に消失してしまったそうです。ここから坂を下ると弁天台場跡です。ここは箱館戦争時に旧幕府軍が最後まで立てこもった場所ですが、今は埋め立てられてしまい、説明文の書かれた看板が立っているだけです。
市電で駅まで戻り、登山バスで函館山に登りました。今回は天気も良く、非常に美しい夜景を堪能できました(^o^)ただ、とても寒かったです(^^;3枚着込んでいったのですが、それでも10分くらいしかいられない寒さでした。それと、ちょうど観光バスが多い時間帯だったので、非常に混んでいたのが残念です。今度はもう少し暖かい時期か、時間帯をずらしてゆっくりと見学したいものです。
2000/10/14(SAT)
この日の宿は札幌です。しかし、まだまだ見残している所が多かったので、午前中は函館観光を続けることにしました。まずはバスで元町へ。急な坂を上って旧ロシア領事館を見に行きました。以前は「函館青年の家」として利用されていましたが、現在は閉鎖されているようです。少し荒れた感じで残念でした。そこからさらに坂を上り、山道を少し歩くと巳己役海軍慰霊碑があります。これは箱館戦争時に撃沈された旧幕府軍の軍艦の乗組員の慰霊碑で、碧血碑同様、ひっそりと建っていたのが印象的です。ここから元町までは歩いて10分ほどです。中華會舘や旧函館市公会堂、旧函館市庁舎、ハリストス正教会、聖ヨハネ教会などを見学し、写真に収めました。あまり撮りすぎてしまって、デジカメの電池が切れてしまったほどです(^^;旧函館市庁舎は元は函館奉行所のあった場所で、現在は観光情報センターと写真博物館になっています。この界隈は私好みの建物が多く、時間があればのんびりと散策したいところだったのですが…今回はかなり駆け足の散策になってしまいました。最後に赤れんが倉庫群を少し見学し、特急「北斗」で札幌へと向かいました。
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| 旧ロシア領事館 | 巳己役海軍慰霊碑 | 中華會舘 | 旧函館市庁舎 |
(C) MOTOKO