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テーマ:幕末レトロ、その他

函館

2002/3/9(SAT)

 函館を訪れるのは、これで3度目になります。幕末好きで、レトロな建物好きな私にとって、函館は見所満載です。しかし、周辺都市へのアクセスがあまりよくないので、訪れるとなると函館のみの滞在になってしまうのが難点です。京都や下関に比べ、訪れる頻度が少ないのはそのためかもしれません。今回は「超割」を使い、まだ雪の残る街を歩いてきました。

 羽田からの始発便に乗り、函館空港に到着したのは8時過ぎです。2日乗車券の使える路線バスで市内に入ろうと思いましたが、30分以上待たなければならなかったのでリムジンバスを利用しました。ホテルに荷物を置き、早速朝市へ。カニ、えび、ほたての入った「海峡丼」をいただきました。大満足したところで、函館駅へ。函館市内の散策は1日あれば十分なので、今回は青函トンネルの見学コースを入れてみることにしました。函館からは1日3コースが出ていますが、この時点で一番速いのは12:06発。残り時間が2時間半なので、このコースを申し込み、五稜郭へ向かいました。

 市電の走る道にはあまり雪がありませんでしたが、五稜郭周辺の道にはまだ雪が多く残っています。公園内も真っ白でした。まずはとりあえず、函館博物館五稜郭分館へ。図録を持っていますが、数々の資料を生で観られるのはやはりうれしいものです。一つ一つの資料を確認しながら、ゆっくり見学してきました。まだ列車の時間までは余裕があるので、稜堡に登り、五稜郭内をぐるっと一周してみました。雪があり、ちょっと怖い場所もありましたが眺めはよかったです。今は市民の憩いの場として、観光スポットとして多くの人が訪れる場所ですが、133年前は多くの人々が命をかけて戦っていた場所であることを思うと、なんだか切なくなります。また、場所は特定されていませんが、歳さんと八郎の埋葬地もこの五稜郭です。史料によると「南西」とのこと。だいたいこのあたりかな…と当たりをつけ、お参りしてきました。

 市電で函館駅まで戻り、駅弁を買って快速「海峡」号に乗り込みました。函館からのトンネル見学コースは、北海道側の吉岡海底駅の見学になります。見学コースの参加者のみが下車できる駅なので、快速列車の車両も一般の乗客とは別になっています。この日の参加者は私を含めて5人でした。1週間後からはドラえもんとタイアップした見学コースがスタートするので、多い日では1コース300人を超えることもあるそうです。少ない人数だったので、通常は見学できないような場所(地上への避難路など)も見学できました。

 函館に戻る途中で木古内、矢不来といった函館戦争の激戦地を通りました。今は全く、当時の面影を残していないのが残念ですが、次回は江差や松前などとともにこの辺りにも来られたらいいな、と思っています。函館に戻ってきたのは17時前です。ホテルでチェックインを済ませ、すぐに函館山に向かいました。日の入りは17:45ごろなのですが、早めに行かないといい撮影場所を取れないからです(^^;山頂に着いた時には、まだ空は明るいものの、街の灯りが点きはじめていました。辺りが暗くなるうちに、だんだん寒くなってきましたが…30分ほど待つと、非常にきれいな夜景が目の前に広がってきました。帰りのロープウェイの大混雑さえなければ、最高でした(笑)帰りはハリストス正教会など教会群のライトアップを見て、赤レンガ倉庫群を散策しながらホテルに戻りました。

吉岡海底駅
吉岡海底駅
夕暮れの函館
夕暮れの函館
赤レンガ倉庫群
赤レンガ倉庫群




2002/3/10(SUN)

 ホテルをチェックアウトし、外に出てみると今にも雨が降りそうな天気です。しかし、前日は五稜郭と函館山にしか行けなかったので、出発の時間まで市内を歩き回ることにしました。まずは土方歳三終焉の地へ。途中で雨が降り出してしまいましたが、10分ほど歩いて到着しました。いつ行ってもここは花が供えられ、きれいになっています。やっぱり歳さんは人気があるんだなーと思いつつ、お参りしてきました。
 いったん駅まで戻り、市電で千代台へ。この辺りには千代ヶ岡陣屋が置かれ、中島三郎助親子が5/16の五稜郭総攻撃で戦死しています。彼らの死を悼み、後にこの地域は「中島町」と名付けられたそうです。ここから五稜郭までは歩いて20分ほどだと思いますが、この辺りが市内で最も戦闘の激しかった地域です。陣屋跡は公園や競技場となり、当時の面影は全くありません。
 いったん市電で五稜郭まで行き、バスを乗り継いで亀田八幡宮へ行きました。ここでは旧幕軍と新政府軍の間で終戦の協議が行われました。建物には函館戦争当時の銃痕が残っています。これかな?と思われる穴がいくつか柱に残っていて、戦闘の激しさを物語っています。ここに着く頃にはかなり雨が激しくなっていましたが、「天気が回復しますように」とお参りすると10分ほどで雨が止みました(笑)偶然かもしれませんが、「困った時の神頼み」という言葉が頭をよぎりました(^^;
 バスを待っていると、ちょうど高竜寺前行きのバスが来たのでそれに乗りました。終点の高竜寺には「傷心残目」の碑があります。ちょうど近くに住職さんがいらっしゃったので、少しお話を伺うことができました。新選組が好きだ、という話をすると「新選組なんてみんな近藤の手先じゃないのか」と言われ、ファンじゃない人の認識はそういうものなんだなーと思いました。簡単に御陵衛士などの説明をしてみましたが、残念ながら旧幕軍は地元の人にはあまり快く思われていないようです。
 称名寺 巳己役海軍慰霊碑咬菜園跡などを見学し、十字街から市電で谷地頭へ。そこから歩いて碧血碑に行きました。まだ雪が多く残っていて、とてもさびしい雰囲気なのですが…変に観光地化していないので、ゆっくりとお参りできるのはうれしいです。この碑については、中に遺骨が入っている説と単なるの石碑説の二説があり、未だに解明されていません。前回よりは函館戦争に関する知識が増えているものの、まだわからないことがたくさんあるので、次回までには調査を進めていきたいと思っています。
 今回は立待岬へは行かず、函館公園から護国神社、元町へと歩いていきました。元町には、函館戦争の際に新政府軍・旧幕軍を問わず治療が行われた函館病院がありましたが、2001年に移転したとのこと。跡地はすっかり更地になってしまっていました。前回、函館を訪れたのは2000年の秋だったので、それからすぐに移転してしまったようです。跡地には由来を説明した看板が新しく建てられていました。
 元町から八幡坂を下って赤レンガ倉庫群へ。いろいろと買い物をしていたら、残り時間がわずかになってしまいました。そういえばこの日は、博物館などを全く見学していません(^^;函館はあまり大きな街ではありませんが、ゆっくりと散策するなら2泊3日は必要だな…と思いました。ふらふらと歩きながらホテルまで戻り、そこから空港行きのリムジンバスに乗りました。帰りの飛行機は窓側の席を取ったので、最後まで函館の夜景を楽しむことができました(^^)

中島三郎助親子終焉の地
中島三郎助親子終焉の地
亀田八幡宮
亀田八幡宮
傷心残目の碑
「傷心残目」碑
八幡坂
八幡坂



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