姫路
2003/03/21(FRI)
本来であれば8:15に伊丹空港着、その後は蛍池、十三、高速神戸と乗り継いで山陽姫路には10時過ぎに到着、2時間ほど観光して13:00に明石で友達と会うはずでした。しかし、ANAのシステムトラブルによって羽田を出たのが9:45。伊丹到着は10:40でした。先に姫路へ行くことは不可能になってしまったので、友達へ連絡を入れ、明石に12:30待ち合わせに変更してもらいました。昼食とお茶をして、私はそのまま姫路へ。到着は15:00でした。計画通りに到着できていれば、亀山の本徳寺にも行く予定でしたが、ここへ行ってしまうと姫路城すら行けなくなってしまうので、今回は泣く泣く断念。またの機会を待つことにしました。
姫路では、観光協会が無料レンタサイクルを始めたというのでそれを利用しました。姫路駅から姫路城までは大した距離ではありませんが、自転車だとバス路線のないところまで自由に行けるのが便利です。お城へ向かう途中、姫路武蔵館という施設に立ち寄りました。昨年11月から年末までの期間限定でオープンしたというこの施設は、
播磨出身説のある宮本武蔵を、姫路の歴史と絡めて紹介しているもので、大河ドラマ「武蔵」で使用された衣装や出演者のサイン、その他武蔵関連の史料が展示されていました。無料の割に、なかなか内容は充実していました。実際のところ、武蔵の出身地は播磨(兵庫県)と美作(岡山県)の2説があり、どちらが正しいかはわかっていません。しかし、武蔵の養子である伊織が、加古川の泊神社というところに奉納した棟札によれば、武蔵は播磨で生まれ、美作の新免家に養子に行ったということです。この棟札の信憑性が確かなものであれば、武蔵は播磨生まれ、美作出身ということでしょうか。5月には岡山の方に行くので、そちらの言い分も確かめてこようと思っています。
続いては姫路城へ。姫路を訪れるのはこれで3回目ですが、実は登城するのは初めてです(^^;10分ほど登り、天守閣の入口に到着しました。登り口は整備されていたので、彦根ほどきつくはありませんでした。天守閣の中は保護のため暗く、がらんとした感じでした。しかし上に行くにつれて展示が増え、最上階からは姫路の街を一望できました。また、姫路城に関する史料が展示されているフロアには、武蔵が3年間幽閉され、その間に精神修行をして藩主から「宮本武蔵」の名を賜ったと吉川英次の小説に登場する「開かずの間」が特別公開となっていました。ろうそくの明かりだけの部屋にぽつんと武蔵の人形が置かれていたので、ちょっと怖かったです(^^;今まで国宝指定は松本、彦根。重文は松山、高知、松江と登城してきましたが、姫路はかなり楽に見学ができました。急な階段はあったものの、ちゃんと滑り止めや手すりがついていて、子供やお年寄りでも大丈夫なようになっています。今後、備中松山と犬山には行く予定があるので、それらと比べてきたいと思っています。
城内を出た頃には、「蛍の光」が流れていました(^^;ゆっくりと見学していたら、17時近くになっていました。隣接する庭園、好古園を見学しようと門の前まで行ったものの、こちらも見学時間終了でした。仕方がないので今回はあきらめ、本徳寺というお寺へ。同じ名前の亀山本徳寺は本願寺派(西)なのに対し、こちらの本徳寺(船場本徳寺)は大谷派(東)。間違われることが多いようで、亀山本徳寺のホームページには但し書きがありました。亀山の方は明治時代に取り壊された西本願寺の建物を移築したもので、新選組が屯所として使っていた部分も残っていることで有名ですが、こちらには西南戦争の碑があります。碑文は戦死者を追悼する内容のみに留まっています。特に姫路藩が西南戦争に関連していたから、というわけではなさそうですが、なぜここにこの石碑があるのかは不明です。
姫路駅に戻り、自転車を返却して大阪方面へと戻りました。時間どおりに着いていたら、舞子で降りて明石海峡大橋を見たかったのですが…(;_;)高速神戸で阪急に乗り換えたところで寝てしまい、起きたら梅田に着いていました(笑)
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