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テーマ:幕末、その他

磯原

2005/06/12(SUN)

 この日は茨城県ひたちなか市、勝田でのアルコンに参加します。仙台から勝田へは常磐線で延々と下って行くか、新幹線で上野まで戻り、上野から常磐線に乗るかの2パターンがあります。私は前者を選択しました。仙台から福島県の相馬、原ノ町、いわきといった街を経由し、勿来の関を越えると茨城県です。その福島との県境の街、茨城県北茨城市は実は私の田舎です。母方の実家があり、小学校を卒業するまではほぼ毎年、お盆と正月を過ごしていました。その後は数年に1度行く程度になり、4年前に祖母が他界してからはますます足が遠のいていました。今回、勝田に行くことになったので、祖父母の墓参のために途中下車しました。

 北茨城市内には大津港、磯原、南中郷という3つの駅がありますが、実家の最寄り駅は磯原。しかし、仙台からの特急は磯原には停車しないので、途中の泉駅で普通電車に乗り換えての到着です。駅近くのショッピングセンターで花を買い、タクシーでお墓に向かいました。歩いても25分くらいのところなので、ワンメーターで済みました。4月に母が墓参をしに来ていたのですが、それ以降は誰も来ていなかったようで…まずは掃除から始めました(^^;

 墓参後は駅まで寄り道をしながら、歩いて戻りました。まずは磯原の観光名所のひとつ、野口雨情記念館へ。子供のころ、嫌というほど見学をしているので、今回は見学しませんでした(^^;磯原は詩人、野口雨情の出身地ということで、市立博物館と記念館が併設されています。1階には雨情の直筆原稿や遺品、関連資料が。2階には磯原の郷土資料が展示されています。

 記念館の裏手は磯原海水浴場です。子供のころに比べ、随分整備されていたのが印象的です。夏はここで遊ぶのが定番でした。懐かしい風景を楽しみつつ、砂浜を歩いて来ました。海水浴場の一番端には天妃山という小さな山があり、神社があります。ここは毎年、祖母と母と3人で初詣でに行っていたところ。そんな天妃神社が、実は幕末ゆかりのものであったことを知ったのは数年前です。新選組局長・芹澤鴨がここの宮司をしていたというのです。のちに勤王の志厚く上京し、浪士組の一員として入京。新選組の局長となりますが近藤一派によって粛正されます。天妃神社は観光名所などではないので案内板等はありませんが、氏子であったであろう私の祖父の祖父あたりとの交流があった可能性などを考えると、面白さを感じます。

 天妃山の入口近くの旅館の脇に、ひっそりと設置された四角い石碑があります。「吉田松陰遊歴の地」と刻まれたこの石碑、子供の頃、何度も側を通っていたはずですが、全く意識したことはありませんでした(^^;これは松陰先生が宮部さんとともに東北旅行した際、磯原に立ち寄り、野口雨情の祖先にあたる水戸藩士、野口正安と交流したことを記念して建てられたものです。また、磯原よりやや北にある平潟港は戊辰戦争時に江戸から脱走した幕府軍の一部が上陸し、会津を目指した場所です。意外と身近にあった幕末史跡の数々を楽しみました。

 最後に、藤田東湖などの書もある野口雨情生家でも見学するか…と行ってみましたが、公開時間が既に終了していました。ここには子孫の方が現在も住んでいるので、短い時間しか公開していないのはやむを得ないかもしれません。

 雨情生家から磯原駅までは徒歩15分ほどです。国道6号線沿いの歩き慣れた道を通り、駅に戻りました。予定より1本早い電車に乗れたので、勝田へ向かう前に日立駅で途中下車し、買い物をしてきました。日立はほとんどの特急が停車する大きな駅なので、1日に2本しか特急の止まらない磯原の数倍は街が栄えています(笑)祖母は日立の病院に入院していたので、日立を訪れるのも4年振りか…と、また懐かしく、時間の経つのが早いことに驚きました。日立から勝田に向かい、15分ほど歩いてひたちなか市文化会館へ。やや小さめのホールとは言え、客席はほぼ満席。茨城県内でのライブは4年ぶり、勝田でのライブに至っては1989年以来16年ぶりだったとか。前日の仙台とはまた違う、熱いアルコンでした。

野口雨情記念館 磯原海水浴場 「吉田松陰遊歴の地」碑 天妃神社 野口雨情生家
野口雨情記念館磯原海水浴場「吉田松陰遊歴の地」碑天妃神社野口雨情生家

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