花巻
1996/8/15(THU)
再び花巻を訪れたい、と思っていたところ、1996年の夏休みに行く機会ができました。この年は賢治さんが生まれてちょうど100年目に当たる年で、各地で様々なイベントが行われていました。
新花巻駅から向かったのは、記念館のある山のふもとにある、「童話村」でした。 現在も散歩道と展示施設を残して、再オープンしています。このころは期間限定で、日替わりのコンサートやイベントを行っていました。前回訪れたときは雪でしたが、今度は台風でした(^^;台風にも負けず、いろいろと見ました(笑)そして、イーハトーブ館と記念館に向かいました。記念館では生誕100年の特別展示として、「銀河鉄道の夜」の全直筆原稿を展示していました。イーハトーブ館では「拡がりゆく賢治宇宙」と題し、賢治さんの生涯と、その同時代に生きた人々の紹介とパネル展示が行われていました。そしてこの日は、花巻温泉に宿泊しました。
1996/8/16(FRI)
翌日は「雨ニモマケズ」の詩碑を見に行きました。ここは「羅須地人協会」という、賢治さんが農業や芸術の講義を行う教室のあった場所で、彼はここで自炊生活を行っていました。ここに建っていた家は、現在、県立花巻農業高校の敷地内に移動・復元されています。詩碑には、有名な「雨ニモマケズ」の後半部分が彫られています。ちなみにこの詩碑は、賢治さんと親交のあった高村光太郎の書だそうです。この詩碑の前では毎年、賢治さんの命日9月21日に「賢治祭」というイベントが行われています。伝統芸能「鹿踊り」が行われたり、賢治さんの作品を朗読したり、劇を上映したりするそうです。
「羅須地人協会」も見に行きました。JR東北線の花巻空港駅から20分ほど歩くと、 花巻農業高校に着きます。「羅須地人協会」は、この高校では「賢治先生の家」として、 生徒の手によって保存されているそうです。入り口には黒板があり、「下ノ畑ニ居リマス 賢治」と書かれています。以前、この家があった場所、つまり 現在詩碑のある場所は高台にあり、「下ノ畑」は現在も「賢治自耕の地」として残されています。また、この家の中には、自由に入ることができます。中には、賢治さんが花巻農業高校(旧稗貫農学校)で教職にあった頃、生徒にあげたマント(「風の又三郎」のマント)や、オルガン、椅子などが当時そのままの形で残されています。 ここにいると、賢治が今でもこの家のどこかにいるような気がしてしまいます。
その後、盛岡まで行きました。たまたまこの時、岩手県立博物館で行われていた「宮澤賢治の世界展」を見ることができました。これは東京など全国主要都市で行われていたのですが、この盛岡が最後でした。東京でも横浜でも見逃してしまっていたので、ここで見られたのは本当にラッキーだったと思います。直筆原稿や手紙、その他遺品などが多数展示されていました。時間の関係で、1時間ほどしか見られなかったのが残念です。その後、バスで盛岡駅まで戻る途中、材木町と言うところに寄りました。ここには賢治が初めて出した本「注文の多い料理店」の出版元である東京光原社がありました。現在、光原社は土産物店として残っていて、その中庭には「注文の多い料理店」の碑があります。この材木町周辺は別名「いーはとーぶアベニュー」といって、賢治さんのブロンズ像や星座板が通りのあちこちにあります。
今回の旅行では、賢治さんに縁のある場所をたくさん見ることができました。しかし、賢治さんのお墓や「イギリス海岸」には行けなかったので、次に行くときはこれらの場所にも行ってみたいと思いました。
 童話村 |
 「雨ニモマケズ」詩碑 |
 羅須地人協会 |
 「注文の多い料理店」碑 |
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