鹿児島
2001/4/21(SAT)
4月は週末のたびに各地へ旅行していました。京都、長野、新潟、会津、札幌、小樽、…北から南から、我ながらその移動距離に驚いています(^^;そして今回は鹿児島。卒業旅行Part2以来、2年ぶりになります。前回はどんよりとした曇り空でしたが、今回は雨(;_;)幕末好きな私ですが、あまり薩摩は好きではないとずっと言い続けているので、あまり歓迎はされてないのかなー、などと思ってしまいました(笑)しかし、前回とは違って今回は2日間まるまる観光ができるので、時間の余裕があります。景色を楽しめるような場所は翌日の天候に期待するとして、初日は見学施設を中心に回ることにしました。
空港からホテルへ直行し、荷物を置いた後は電車で西鹿児島駅へ。一日券の自動販売機がデパートなどにも置いてあって便利です(^^)駅前の観光案内所で地図をもらい、シティビューという観光地周遊バスで黎明館へ。ここは前回、受付時間が終了してしまったために見られなかった博物館です。今回は無事に見ることができました。屋久杉の成り立ちなど古代から戦後の鹿児島までをトータルに紹介し、幕末の薩摩については2階にゆかりの人物を紹介した特設コーナーがありました。直筆の手紙なども多く、事実のみを紹介している展示が多かったので「維新ふるさと館」より私好みでした(笑)
この黎明館は鶴丸城の跡にありますが。すぐ近くには江戸時代中期に岐阜の木曽川河川敷工事を命ぜられ、そこで亡くなった人たちを祀る薩摩義士の墓があります。当時の木曽川はたびたび水害をもたらし、それに関する資料を羽島の博物館で見たことを思い出しました。その時は薩摩の人たちが中心になって工事をしたことにさほど興味を持っていなかったのですが、幕府が強大な薩摩の財力を摩耗させるため、あえて難工事を押しつけた…ということを知って、ちょっと驚きました。そもそも、参勤交代も拡販が財力を蓄えないようにするために行っていたということも初めて知りました。そうだったのか…と、ちょっと感動しました。
ふたたびシティビューに乗り、西郷南洲顕彰館へ。前回訪れた時には薩摩の志士の名前も西郷・大久保くらいしか知らなかったのですが、今回は南洲墓地に祀られている人の名前もだいぶ知っています。中村半次郎こと桐野利秋、篠原国幹、村田新八、別府晋介などなど…みんな西郷軍の隊長を務め、城山の周辺で戦死、もしくは自刃しているのが印象的です。薩摩は西南戦争で敗れた者と、その後の政府で要職に着いた者が見事に二分しているような気がします。特に西郷隆盛・従道兄弟が有名ですが。中村半次郎と別府晋介がいとこ同士だったことやその他に親・兄弟が分かれて戦っていた…なんてことがよくある話だったようで、今回は少し西南戦争を(会津側からですが)勉強してきてよかったな、と思いました(笑)
シティビューは便利なのですが、30分に1本しか来ないので普通のバスで西鹿児島駅へ。電車に乗り換え、維新ふるさと館に行きました。閉館時間間近でしたが、館内のホールで映像が見られました。これは黒船来航から西南戦争までの薩摩藩とその周囲の人々の行動を描いたもので、西郷、大久保、村田、東郷、大山など7体のロボットが映像の解説をしてくれるといった、ちょっと豪華なものでした。なぜか勝海舟・坂本龍馬が出てきたのには驚きでしたが…。
また、前回は見逃していましたが、ここのすぐ裏に西郷隆盛生誕の地があります。維新ふるさと館の横には大久保利通生誕の地があり、本当に近所に住んでいたことがわかります。萩の菊屋横町で、晋作と桂がかなり近所だったことにも驚きでしたが、西郷と大久保の家の近さはそれ以上でした。年は少し離れていますが、本当に幼なじみで親友だったことがわかります。また、大山巌や伊地知正治もかなり近所でした。
シティビューで西郷銅像と小松帯刀像を見に行き、天文館で「白くま」と鹿児島ラーメンを食べてからホテルに戻りました。特に「白くま」はかき氷なのに氷が非常に細かく、ソフトクリームのような舌触りなのに後味はすっきり。かなりはまってしまいました。
2001/4/22(SUN)
昨日とはうって変わって非常によい天気です。そして、16時過ぎまで時間はたっぷりあります。まずはホテルから少し歩いて、中央公園にある五代友厚像を見に行きました。五代といえば晋作が上海に洋行した際に水夫として同じ船に乗り込み上海でもずっとともに行動した人物です。維新後は財界に転じ、大阪経済の礎を築いた人物としても知られています。そのためか、あまり薩摩には縁がないような印象を受けてしまいます(^^;
再び歩いて、今度は私学校跡へ。これは下野した西郷が設立したもので、ここの生徒たちの暴走によって西南戦争が勃発しました。また、近くには西南戦争の際の弾痕が残る石垣もあります。ここから薩摩義士前までは歩いて数分です。そこからシティビューに乗り、城山へ。桜島を非常によく見渡すことができました。展望台から少し下ったところには西郷たちが最後に立てこもった西郷洞窟もあります。そこをさらにお城の方へ下がった所で西郷は腹と太股を打ち抜かれ、別府晋介の介錯で切腹しました。その西郷終焉の地までは、歩いて10分もかかりませんでした。また、城山の下を通る日豊本線のトンネル入口には西郷の座右の銘「敬天愛人」の文字が掲げられていました。
シティビューで今度は仙巌園へ。ここは磯庭園と呼ばれた島津家の別邸跡です。桜島と錦江湾を利用した日本庭園と旧宅、そして幕末に島津斉彬によって設置された尚古集成館があります。ここからの桜島の眺めもすばらしいものでした。また、尚古集成館には当時の薩摩の技術を物語るような薩摩切子をはじめとした工芸品や銃器などの展示があり、薩摩の実力を思い知らされました(^^;薩摩の幕末に対するスタンスは、未だにあまり共感できませんが、国力が長州や会津よりずっと大きかったことや、島津斉彬の先見性は納得できました。長州びいきの私は、ついつい防府の毛利庭園や萩ガラスと比較してしまいましたが…正直言って「負けた…」という感じです(^^;
少し薩摩に対する評価が上がったところで、天文館まで戻り天保山へ。前回はどのバスに乗ってよいかわからず、かなり迷いましたが…今回は迷わず、すぐに行くことができました。坂本龍馬新婚の像は相変わらず小さかったです(笑)
西鹿児島駅まで戻り、大久保利通像を見てからシティビューでザビエル公園へ。ザビエルが最初に上陸したのが鹿児島だったということで、数年前にこの銅像が造られたそうです。ここから天文館は歩いてすぐなので、最後に「白くま」を食べに行きました(笑)店はかなり混んでいたので持ち帰り、空港バスの中で堪能しました。東京ではこういうかき氷は食べられないのが残念です(^^;
そんな感じで、今回の旅ではかなり薩摩に対する評価が上がりました(笑)ただ、西南戦争に関する資料が思いの外少なかったのが残念です。特に会津や長州で組織された「新政府軍」の資料があればいいのに…と思いました。
(C) MOTOKO