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テーマ:幕末、その他

鹿児島

2003/04/11(FRI)

 昨年12月のANA1日乗り放題で鹿児島空港には降り立っているものの、市内まで行くのは昨年の2月以来でした。市内観光をして、桜島にも行って…といろいと予定を立てていましたが、当日はあいにくの雨。対岸の桜島がかすんでいるような状態だったので、今回は市内観光のみにとどめておくことにしました。

 まず最初に向かったのは、西鹿児島駅の裏手にある西郷隆盛旧宅跡。「武の旧宅」として知られている場所で、現在は「西郷公園」として開放されています。まず目に付くのは銅像。西郷隆盛と対峙しているのは庄内藩士の菅実秀です。幕末の文久3年(1863)、庄内藩出身の清河八郎の策によって、幕府は京の治安維持と上洛する将軍の警護のため、浪士隊を結成します。尊皇攘夷を目的としていた清河は、幕府の金を利用して浪士を集めたのですが、やがて計画は露呈し、京都到着後すぐに浪士隊は解散。多くが江戸へ引き返す中、一部の有志が京都へ残留し、壬生浪士隊を結成します。壬生浪士隊はやがて新選組と名を変え、約5年間京の治安維持に勤めました。そして江戸へ引き返した有志が結成したのが新徴組。こちらは江戸の治安維持に勤めていました。ところが戊辰戦争が勃発する直前、薩摩藩の益満休之助らは浪士を使って幕府に対する挑発行為を繰り返していました。薩摩藩は、幕府が先に手を出すよう煽っていたのです。そのような行為に怒った新徴組の構成員である庄内藩士たちは、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちします。やがて戊辰戦争が勃発。江戸藩邸の焼き討ち事件を口実に、戊辰戦争では薩摩藩を中心とした「官軍」が庄内藩を攻めます。東北の諸藩が次々に降伏していく中、庄内藩は徹底抗戦を続けました。しかし、力つきて降伏。家名断絶、藩主は斬罪となるのを覚悟していたものの、薩摩藩参謀西郷隆盛らの取りなしで、寛大な処置が執られました。庄内藩士らは西郷の人柄に感銘を受け、敬慕するようになりました。征韓論に破れ、下野して薩摩へ戻ってきた西郷をわざわざ訪ねてきたのが、特に西郷に心酔していた菅実秀でした。庄内藩の城下町、鶴岡には西郷筆の「敬天愛人」の石碑がありますが、鹿児島にも庄内藩の史跡が残されています。現在では鹿児島市と鶴岡市、「兄弟都市」として交換留学などといった人の交流があるそうです。

 西鹿児島駅へ戻り、市電で一駅目の高見橋へ。大久保利通像加治屋町付近を散策し、周遊バスの「シティービュー」に乗りました。城山からの桜島眺望は望めそうになかったので、今回は市内観光を重視してみました(笑)まずはザビエル公園。ザビエル像や天主堂の遺構を見学し、続いて向かったのは示現流兵法所・史料館です。示現流とは薩摩藩独特の剣の流派で、奇声を発しながら突進し、一太刀目で相手を倒すことができるほどの攻撃力を持ちます。前回、鹿児島を訪れた際に南洲墓地でこの示現流の稽古風景を見かけたことがありますが、この資料館には兵法目録や実際の稽古で使われる木刀などがあるそうです。見学するのを楽しみにしていたのですが…臨時休業中でした(;_;)ちょっとやる気を失ってしまったので、とりあえず腹ごしらえをすることにしました(笑)天文館をぶらぶら散策し、よさげなお店を発見。いわゆる「カフェめし」のお店でしたが、角煮などの郷土料理も入っていておいしかったです。少しショックから立ち直ったので、再び散策開始。中央公園内に建っている造士館跡の碑を見学し、照国神社へ。前回もここを訪れていますが、時間が遅かったので見学のできなかった照国文庫資料室を真っ先に見学しました。館内はそれほど広くありませんが、照国神社の祭神である島津斉彬関連の展示を中心に、幕末の薩摩藩の状況を丁寧に解説した資料が多かったです。ゆっくり見学した後は、神社に参拝して島津斉彬・久光・忠義3人の銅像と戊辰之役戦士顕彰碑を見学。顕彰碑の傍らにある銘碑を見ていると、富山弥兵衛という名を発見。彼は薩摩藩士でありながら新選組に加盟し、伊東甲子太郎らとともに御陵衛士に参加。油小路の変後は御陵衛士の残党とともに戊辰戦争に参加したものの、柏崎で戦死しました。ここに名前が刻まれていることで、御陵衛士ではなく薩摩藩士として戊辰戦争に参加していたことを初めて知りました。弥兵衛どんは新選組入隊の経緯などで謎が多く、興味のある人物です。

 西郷隆盛銅像の前を通り、次に訪れたのは黎明館です。薩摩の歴史を原始時代から現代にかけて紹介している歴史博物館で、展示内容も非常に充実しています。2階には志士たちの遺墨が、3階には日本刀などが多数展示されていて、つい時間を忘れて見学してしまいました(^^;見学後、「シティビュー」に乗りましたが、まだ雨が降り続いていたので、城山へは行かずに西郷洞窟前で途中下車。写真を撮って城山から折り返してきたバスに再び乗り、祇園之洲公園で下車しました。ここは薩英戦争時に砲台が置かれていた台場の跡で、西南戦争の際には官軍の戦死者を埋葬した墓地でもありました。現在では墓石の風化が進んだために遺骨をすべて地下の納骨堂へ移し、西南戦争官軍戦死者慰霊碑が建てられています。鹿児島での戦死者に限られるため、阿蘇で戦死した旧会津藩の佐川官兵衛などの名はありませんが、青森県の戦死者が多かったのが気になりました。おそらく、旧会津藩士で斗南へ移住した人々でしょう。公園内には、表に「宣力殉難報告諸士之(碑)」、裏に「丁丑役青森縣人為戦(死)於此地者建 明治十一年八月」と刻まれた石碑もありました。また、この公園にはかつて西鹿児島駅近くを流れる甲突川に架けられていた3つの石橋(高麗橋、玉江橋、西田橋)と、橋の歴史を紹介した石橋記念館もありました。今まではバスで通り過ぎていただけでしたが、意外と見所が多かったです。

 けっこう時間が遅くなってしまったので、今回は南洲墓地や磯庭園へは行けませんでした。閉館時間ぎりぎりに飛び込んだ維新ふるさと館もあまりゆっくり見学できなかったのが残念です。いったんホテルに戻り、ちょっと休憩した後、天文館へ「しろくま」を食べに行きました(笑)その後、ぶらぶらと買い物をしたり、私学校跡月照上人遺跡の碑などを見学したりして鹿児島観光は終了です。翌日は9時台の特急で熊本へ向かいました。

西郷隆盛旧宅跡 照国神社 西南の役官軍慰霊碑 西田橋
西郷隆盛旧宅跡照国神社西南の役官軍慰霊碑西田橋



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