熊本
2001/9/1(SAT)
今回の旅も「超割」を利用しての激安旅行です(笑)1泊2日では足りない、非常に濃い旅になりました。
羽田空港から熊本へ。仕事以外で熊本を訪れるのは卒業旅行Part2以来、2年半ぶりです。前回は滞在時間1時間という非常に短い散策になってしまいましたが、今回も持ち時間は3時間…。とりあえず、西南戦争関連の史料の見学をしたいので熊本城は外せません。お城の周辺を散策し、時間があれば横井小楠旧宅まで行って、さらに時間があれば水前寺公園まで行けたらいいな…と思っていました。
熊本城へは、交通センターから15分おきに出ている周遊バスが便利です。天守閣は高台にあるので、歩いて登るとけっこう時間がかかってしまいます…バスだとわずか3分で到着でした。城内は石垣などの復元工事が行われている最中で、完成は4年後とのこと。4年後に再び訪れなければ…と思いました(笑)
前回は正面から入りましたが、今回は裏側からです。まずは、西南戦争の際にも唯一焼け残ったという宇土櫓へ。石垣の上に建てられているので、石の高さによって廊下に段差があるのが面白いです。石垣を登ってくる敵に備えて、石を落としたり銃を撃ったりするための穴が各所にあり、「難攻不落の熊本城」といわれる所以を感じました。
天守閣は5層構造で、2階と3階が展示室、5階が展望室になっています。2階は主に熊本城築城の歴史と加藤清正、3階は城で使われていた調度品と西南戦争に関する史料の展示でした。西郷軍の軍服や投降を促すビラ、西郷戦死を伝える電報などがあり、前回はゆっくりと見られなかったのを後悔しました(^^;展示数はあまり多くありませんが、熊本…すなわち官軍の側から見た西南戦争であるため、鹿児島で見たものとはちょっと印象が違いました。
天守閣の向い側には、西南戦争当時に熊本鎮台の総督として城を守った谷干城の銅像があります。谷は土佐の人で、龍さんの暗殺は新選組の犯行だと思い込み、近藤さんの斬首を強固に主張したことでも有名です。
お城を一通り見学したあとは、バスで細川刑部邸へ。ここは肥後藩初代藩主、細川忠利の弟、細川興孝が建てた屋敷で、幕末の頃まで実際に使用されていました。後に熊本市が買取り、移設・復元されて現在に至ります。主人が居住するスペースは廊下が一段高くなっていたり、女中部屋からはすべての部屋が見通せるようになっていたりと、なかなか面白い造りでした。
周遊バスで城下に戻り、お堀近くの高橋公園へ。ここには横井小楠をめぐる4人の人物の銅像があります。左から坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春嶽、細川護久です。龍さんと勝は小楠の「弟子」、細川護久は当時の肥後藩主、松平春嶽(慶永)は小楠を登用した福井藩主で、薩摩の島津久光、宇和島の伊達宗城、土佐の山内容堂と並んで「四賢候」の一人です。ここにいる5人全員が明治まで存命だったら、日本の歴史は多少変わっていたのではないかな?と思います。
バスの時間まであと1時間しかありませんが、ダメ元で市電に乗り、横井小楠旧宅へ。地図では市電終点の健軍町から歩けそうな感じでしたが、実際はそこからバスで5分ほど…しかもバスは行ってしまったばかり(^^;無理に行ってもほとんど見学はできないと思い、今回はあきらめることにしました。かなり残念です。4年後の石垣復元の頃までには、もう一度訪れたいと思います。
 熊本城と谷干城銅像 |
 細川刑部邸 |
 横井小楠と維新群像 |
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