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テーマ:幕末

京都

2000/9/9(SAT)

 今回は地球ゴージャス「さくらのうた」大阪公演のついでに京都へ寄った…というような感じで、あまり「旅行」という感じではありませんでした(^^;時間的な余裕があまりなかったのと、途中でALFEEのチケット取りをしなければならなかったのとで、ちょっと物足りない感じです。
 朝イチの飛行機で伊丹空港入りし、モノレールと阪急を乗り継いで10時頃、阪急大宮に着きました。今回行きたいと思っていたところは、壬生と島原、それに泉涌寺です。…かなり新選組に関わるところばかりです(笑)まずはバスで島原へ。しかし移動中もチケットの予約を続けていました(^^;1カ所だけの予約ならよかったのですが、その時は運悪く2カ所の予約が時間をずらして行われていたので、1回かかってもまた時間をずらしてかけ直さなければならず、大変でした(;_;)

 それはさておき…「島原口」から、まだ工事中の島原大門を経て角屋へ。前回、7月に訪れたときもここへは来ましたが、今回は特別展「志士たちの遺墨」が開かれいるので、中を見学することにしました。内部は特別文化財に指定されているとかで撮影禁止でした。また、2階部分は見学するのに別料金がかかるので…気軽に見学できるような場所ではないのが残念です。しかし1階には新選組隊士がつけたといわれる刀傷、西郷隆盛が使用した「たらい」など、他の博物館では見られないようなものもいくつかありました。また、特別展の方は久坂玄瑞直筆の掛け軸、武市半平太直筆の絵、新選組の「掛売禁止」の古文書など30点ほどが展示されていました。やはりここは尊皇派の志士が集った場所だけに、長州・土佐の志士のものが多いです。そして新選組はここを見回りに来ていたので、遺墨が残っているようです。あまり広いところではないので、30分ほどで見学が終わってしまいました。
 電話をかけつつ、大宮通、堀川通、油小路と歩いて行き、天満屋跡本光寺の横を通って京都駅へ。ここは数々の史跡が点在しているので、歩いていてもとても楽しいです。本光寺は開いていたら中を見学したいと思っていたのですが、今回も閉まっていたようです。今度、平日に来ることがあればぜひ見学してみたいと思っています。

 京都駅からはバスで東山七条へ。そこでバスを乗り換えて泉涌寺道へ。泉涌寺といえば、油小路で殺された伊東甲子太郎をはじめとした御陵衛士の墓所です。とは言っても、実際にお墓があるのは泉涌寺塔頭・戒光寺の墓地ということなので、戒光寺へ行ってみました。しかし…いくら探しても見つかりません(;_;)確かに戒光寺のはずなのですが、墓地らしき場所が見あたりませんでした。道を聞けそうな人もなく、詳しい地図も持っていなかったので、捜索を断念しました。今回の京都旅行の目的の一つは御陵衛士のお墓参りだったので…ほんとに残念でした。絶対に次回は探し当てます(笑)
 再びバスに乗り、府庁前へ。土曜日なので、今回は京都府庁に入れるだろう…と期待していたのですが…やはり門は閉まっていました(;_;)まだ2時前だったので大丈夫だと思ったのですが…「京都守護職跡」の碑は、門を入ってすぐのところにあるので、かなり惜しいです。次回、京都を訪れるのは年末の予定なので、今度こそ見学できるかどうかは微妙です(^^;
 仕方がないので、バスで四条河原町へ。新選組に捕縛され、拷問を受けた結果、長州系志士たちの計画を漏らしてしまった古高俊太郎が潜伏していた枡屋跡を探しました。池田屋跡や丹虎跡、近江屋跡にもかなり近く、この一帯には幕末の史跡がかなり多いことを改めて実感しました。しかし、今はあまり治安がよくないような雰囲気で…明るいうちにしか散策したくない地域です(^^;
 四条通りをぶらぶらしながら、「スターバックスコーヒー」で京都限定のタンブラーをGETしました。京都でコーヒーといえばイノダですが、限定モノには弱いです(^^;しかし、ランチは四条烏丸のイノダ(B2F)で「オムライスセット」をいただきました。いつもはB1でランチセットですが、B2のランチもなかなかおいしかったです。

 四条烏丸からはバスで大宮へ。歩いて3分ほどで光縁寺です。ここには新選組隊士のお墓があるので、お参りすることにしました。墓参料を取られるのはちょっと…と思いますが、墓参後には本堂にあがらせていただけて、多数の写真や資料を見ることができるので、トータルで考えるとかなりお得かもしれません。ここに眠っているのは主に規律違反などで切腹をした隊士で、新選組総長山南敬介、副長助勤大石鍬次郎の兄・大石御酒蔵、副長助勤松原忠司などの合同墓の3つがあります。そして、その脇に沖田総司の恋人のものではないかと言われている「沖田氏縁者」の墓碑があります。また、油小路の変で殺された伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内監物も最初はここへ葬られたそうです。この4人の遺体は御陵衛士の残党を壊滅させるためのおとりとして1週間、放置されていましたが、結局は新選組が引き取ってここへ葬ったとか…そして、後に御陵衛士の残党が遺体を掘り起こし、戒光寺へ改葬しましたが、寒さのためかそれとも無念のためか…時間がたっていたにもかかわらず、遺体の痛みはほとんどなかったということです。ふとそんなことを思い出しながら、光縁寺を後にしました。
 光縁寺に行けたので、あとは特に「ここに行きたい!」というところもなく…ぶらぶら歩きながら壬生寺まで行きました。前回も思ったのですが、この辺りは道幅も狭く、幕末当時からあまり建物の配置などは変わっていません。壬生寺の横は新選組最初の屯所が置かれた八木邸、その向かいには清河八郎が演説をした新徳禅寺、その脇には次に屯所が置かれた前川邸…この辺りにいると、新選組の隊士がどこからか現れそうな雰囲気がするのがおもしろいです。

 …と言うわけで、今回はほとんどすべてが新選組関連な旅でした。ちょっとハマリ過ぎかなぁ…と感じる、今日この頃です(^^;

角屋
角屋
枡屋跡
枡屋跡
山南敬介墓碑
山南敬介墓碑
前川邸
前川邸
新徳禅寺
新徳禅寺


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