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テーマ:幕末

京都

2000/12/28(THU)

 20世紀最後の旅行には、大好きな京都を選びました。実はALFEEのコンサートがらみでもあるのですが…今回は特に、コンサート以外のオプションに力を入れることにしました(笑)
 始発の伊丹行きに乗り、大阪へ着いたのは9時過ぎでした。しかし、この日のコンサートは名古屋です(^^;なぜ東京→大阪→名古屋というややこしいコースをたどったかというと、大阪で大量に買い物の予定があったためです。年末なので、いろいろなお店は閉まってしまいます。なので、ちょっと面倒でしたが先に大阪で買い物をして、ついでに京都も少し見て、名古屋へ…と計画していたのでした。
 しかし、実際には大阪から直接名古屋へ向かってしまいました。やはり、京都を「少しだけ」見るのは無理がありそうだったので(笑)、この日の午前中は大阪でのんびりしてました。名古屋では友達に会い、コンサートに参加してその後宴会…といういつものコースでした(笑)


2000/12/29(FRI)

 名古屋ではほとんど買い物も観光もせず、岐阜経由で京都へと向かいました。この時期は青春18きっぷが使用できるので、在来線はけっこう混んでいました。
 京都に着いたのは13時前です。ホテルに荷物を置き、早速観光へ。前回9月のリベンジで、戒光寺へと向かいました。境内をうろうろしてみるものの、やはり御陵衛士の墓所は見当たりません。今回もダメかな、と思いかけた時、本堂に人影が…。そこには大掃除をしている住職さんがいらっしゃいました。場所を尋ねたところ、泉涌寺の山門の手前の細い道を入ったところに黒い門があり、そこを入ったところが墓所だとのこと。山門周辺をうろうろすること数分、ついに墓所へ行くことができました。ほんとに細い道なので、今まで全く気付かずに通過してしまっていました(^^;案内板などは全くありません。壬生寺や光縁寺のように「観光名所」として紹介されることもほとんどないので、ゆっくりと墓参することができました。墓所正面の4つは伊東甲子太郎と油小路で戦死した3人のもので、その横はそれ以外の御陵衛士の合同墓です。泉涌寺は天皇家の墓所なので、それを守っていた御陵衛士たちの墓がここにある、というのは納得です。しかし、新選組創立メンバーの藤堂平助のお墓だけは、光縁寺などの新選組菩提寺にあってもよかったのでは?と思います。平助が御陵衛士に入ったのは、剣の流派が北辰一刀流で、伊東甲子太郎と同門だったためと言われていて、油小路の血闘の際も近藤さんは「平助だけは助けてやりたい」と言ったそうです。そういうったエピソードを聞くと、ここで全く新選組とは関係ないかたちで葬られているのが、少し寂しいような気がしました。
 再びバスに乗り、今度は平安神宮に行きました。と言っても平安神宮が目的地ではなく、平安神宮の駐車場に移設されている京都守護職屋敷門を見るためです。この門を説明する案内板などはありませんでしたが、とてもわかりやすいところにありました。でも、どうしてこの場所に移設されたのかは謎のままです…。
 そろそろ日が暮れてきたので、最後に河原町二条の桂小五郎終焉の地を見に行きました。ここは桂の別邸で、本宅は三条木屋町の旅館「幾松」です。こちらも現在は旅館になっていて、私がもし桂ファンなら絶対に泊まっているだろうな…と思いました(^^;
 その後は河原町通りをぶらぶらと歩きながら、三条河原町のイノダコーヒでホットコーヒーをテイクアウトし、池田屋跡三条大橋のあたりを散策しました。本当にこの辺りは幕末関連の史跡が多く、当時の街並みがだいたいイメージできるのが楽しいです。しかし、現在はちょっと夜に歩くのは怖い街になっているので、また後でゆっくりと歩くことにして京都駅へ。買い物をした後、七条油小路を通ってホテルに戻りました。この辺りは住宅街のせいか、夜は今でもかなり暗いです。油小路の血闘の夜は、月がとてもきれいだったと言いますが…これだけ暗く、狭い路地で斬り合いが行われたかと思うと、そのすさまじさが目に浮かぶようでした。
藤堂平助墓碑
藤堂平助墓碑
京都守護職屋敷門
京都守護職屋敷門
桂小五郎別邸跡
桂小五郎別邸跡



2000/12/30(SAT)

 この日は大阪城ホールのアルコンと、大阪オフがありました。なので、京都観光はそこそこに…と思っていましたが、そうも行きませんでした(笑)
 まずはホテルから西本願寺まで歩き、バスで四条烏丸へ。大丸の裏にある錦小路薩摩藩邸跡の場所を確認し、四条河原町から三条河原町へ。薩摩や長州、土佐などの志士たちが歩いた道をそのままたどってみました。15分ほどの距離ですが、この辺りは当時の面影が全くなくて少し寂しいです…。昨日と同じく、三条河原町のイノダでコーヒーを飲み、三条大橋の河原まで降りてみました。現在は遊歩道が整備され、散歩コースとなっていますが…幕末時には多くの斬り合いが行われ、多くの人の首が晒された場所でもあります。ここだけは、当時の面影が残っていなくていいような気がします(^^;しかし、河原から見る三条大橋はなかなか風情があってよかったです。
 大阪へ向かうにはまだ時間があったので、バスで同志社大学の横にある二本松薩摩藩邸跡を見に行きました。ここは薩摩藩の京都での拠点で、薩長同盟の密約が交わされた場所でもあります。当時を紹介する案内板などはありませんが、御所への近さがすべてを物語っているような気がします。しかし、京都守護職も目と鼻の先なのが皮肉な感じもしますが…。
 この日の京都散策はこれで終了です。大阪では地球ゴージャスファンの方々とオフをし、大阪城ホールへと向かいました。城ホールのアルコンは4時間近くの長丁場で、京都へ戻ってきたのは23時過ぎでした。盛り上がりすぎてしまったためか、風邪をひいてしまいました(;_;)
錦小路薩摩藩邸跡
錦小路薩摩藩邸跡
三条大橋
三条大橋
二本松薩摩藩邸跡
二本松薩摩藩邸跡



2000/12/31(SUN)

 20世紀最後の日を、大好きな京都で迎えられたのはとてもうれしかったです。夜には神戸でALFEEのカウントダウンライブがあるので、あまり無理をせずに過ごしました。
 …とは言っても、この2日間で行っていないところは多数あります。なので、まずは壬生寺へ(笑)大晦日にもかかわらず、八木邸が公開されていたのが驚きでした。「今夜のカウントダウン、無事に乗り切れますように…」とお願いをしてきました(笑)それから、開いているかどうかはわからなかったのですが二条城へ。しかし、残念ながら年末休業中でした…。福井藩邸跡などを見て、今度は祇園へ。初詣の準備に忙しい八坂神社を過ぎ、高台寺月真院へ。余力があれば霊山へ…と思っていましたが、さすがにあの坂道を登る自信はなかったので、ここで散策を終了しました。最後に烏丸のイノダへ行ってランチを取り、神戸へと向かいました。京都にいるうちはのどが痛い程度だったのですが、神戸に着いてからは熱も出てきてしまいました(^^;アルコン直前まで、会場近くに泊まっていた友達の部屋で休ませてもらえたので、なんとか最後まで見ることができました。グッズも友達に買ってきてもらえたので、無事に手に入れることができました。この日は、ほんとに友達のありがたみを実感しました(;_;)


2001/1/1(MON)

 そして、年が明けました。21世紀の始まりは神戸でしたが、初詣はやはり京都でないと…と思っていました(笑)幸い、熱は下がったので、神戸から再び京都へと戻りました。
 無事にカウントダウンを乗り切れたお礼参りのためと、京都で一番なじみのあるお寺ということで…初詣は壬生寺に行きました。開いていれば光縁寺でお墓参りを…と思っていましたが、墓参は受け付けていないようだったので前を通過して四条大宮からバスに乗りました。時間があったので八坂神社へ…と思っていたのですが、京阪四条あたりからすごい人通りになっていて、これは無理だ…と判断しました(^^;なのでそのままバスに乗り続け戒光寺へ。東山通りは大渋滞だったので、祇園から泉涌寺道まで30分以上もかかってしまいました(^^;八坂神社、清水寺とメジャーなお寺が多いためでしょう…。五条坂をすぎると、急に流れがスムーズになりました(笑)新年最初の墓参をし、京都駅へと戻りました。京都から直接バスで、伊丹空港まで行くのはちょっと危ないかな…と感じたので、新快速で新大阪まで行き、そこからバスに乗りました。空港も人でいっぱいでしたが、京漬け物や限定のキティグッズなどはしっかりと購入できました(笑)そして、いつもより早い16時台の便で東京へと戻りました。


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