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テーマ:幕末、その他

京都

2002/1/13(SUN)

 2002年最初の旅行は、やはり京都になりました。…とは言っても、この日は京都での滞在時間が数時間もありませんでした(^^;13時から大阪で行われる地球ゴージャスFCのイベントに参加しなくてはなりません。いつもなら飛行機で大阪入りし、京都でのんびり…というところですが、今回は仕方なく新幹線で先に京都に入ることにしました(笑)
 京都駅に着いたのは9時前です。大阪までの割引切符を買いたいのですが、まだお店が開いていなかったので、ホテルに荷物を置きに行くことに。その後は西本願寺から七条堀川、七条油小路と新選組や御陵衛士に関わりのある場所をふらふらと歩いてみました。この辺りは、京都に行ったときにはだいたいいつも歩くコースなので、地図を見なくても大丈夫です。しかし、今回はそれらに加えて七条醒ケ井西入釜屋町にあったという、新選組十番隊長原田左之助の寓居跡を探してみました。現在は「鎌屋町」という地名になっていて、古い街並みもあまり残ってはいませんが、西本願寺や不動堂村の屯所にも近いその地域に妻と子を住ませ、そこから出勤していた姿はなんとなくイメージできました。もっと時間があれば戒光寺墓地にも行きたいところでしたが、そろそろ大阪へ移動する時間になってしまったので、割引切符を買い、新快速で大阪に向かいました。
大阪ではファンの集いに参加した後、地元の友達などとお茶会、そして夜は宴会と、かなりのハードスケジュールでした(^^;でも、とても楽しいひとときでした(^^)



2002/1/14(MON)

 前日の疲れで、ホテルを出るのが遅くなってしまいました(^^;それでも、だいたい行きたいところは決めていたので、まずはバスで島原へ。角屋は休業中だったので、見学できるところはどこもありませんでした。しかし、「誠の湯」という、いかにも新選組風なデザインの銭湯?で、3月の終わりから4月の初めまで、西陣織会館で「京都新選組展」という催しが開かれるという情報を入手しました。これで、また京都を訪れることが決定しました(笑)
今度はバスで東寺へ。五重の塔は外から見たことが何度かありますが、拝観するのは初めてです。ここは鳥羽伏見の戦いの際、新政府軍の本陣が置かれた場所で、西郷隆盛は五重の塔から城南宮付近の戦況を眺めていたといいます。塔の中へは入れませんでしたが、金堂と講堂を見学してきました。
 東寺からはバスで泉涌寺道へ。この日はちょうど泉涌寺の塔頭寺院で「七福神祭り」が開かれていたので、参道は紅葉の時期並みの混雑でした(^^;それでも、露店の後ろに隠れてしまった戒光寺墓地には人影もなく…いつもどおりの、ひっそりとした風景でした。ゆっくりと平助の墓参を済ませた後は、バスで三十三間堂へ。滅多に観光地らしい場所へは行かない私ですが、ここへ行ったのには理由があります。通称「るるぶ」、本当のタイトルは「征西日記」…隻腕の美剣士としても知られる、伊庭八郎が将軍上洛に同行した際に書き残した日記です。八郎は二条城の警護などの傍ら、観光地巡りをし、見学した場所や食事の内容などを細かく日記に残していました。現在では見学できない社寺仏閣などもありますが、ほとんどは同じコースをたどることが出来ます。そこで、今回はこの「征西日記」をベースにした散策もしてみよう、と思った訳です(笑)
 八郎が三十三間堂を訪れたのは1864年2月15日。二条城近くの宿から東福寺、方広寺を経て、ここを見学しています。三十三間堂は言うまでもなく、約1000体の千手観音像が安置されていることで有名な寺です。ずらっと並んだ千手観音像はとにかく圧巻、の一言でした。そのうち1体は自分に似た像があると言われていますが、私に似た像は見つけられませんでした(^^;
 その後は散策コースが多少前後しますが、方広寺へ。ここには昭和40年代まで大仏があり、かつては坂本龍馬もよくこの地を訪れたと言います。おそらく、八郎も大仏を見学したのでしょう。現在は、豊臣家滅亡のきっかけとなった「国家安康」の鐘と阿弥陀堂があるだけです。
 次は耳塚へ。現在は公園になっていますが、ここは豊臣秀吉が朝鮮征伐を行った際、虐殺された多数の朝鮮人の耳や鼻を塩漬けにして持ち帰り、埋めた場所とされています。現在はあまり観光地として取り上げられることがない場所ですが、まさに歴史の一証人として今も京都の地に残されています。
 八郎はこの後、伏見稲荷大社を見学し、二条に戻っています。しかし、私は他にも行きたいところがあったので、「征西日記」による散策はこれでいったん終了です。馬町のバス停から清水道へ。東大路を西に少し入ったところにある善立寺は、西本願寺の屯所を出た御陵衛士のメンバーが最初に屯所を置いた寺です。東山三条の城安寺に数日間宿泊した後、この善立寺に移り、その後まもなく月真院に移っています。善立寺は幕末当時、五条通に面していたということですが、今は移転してこの地に立っています。幕末当時の面影は全く残っていないのが残念でした。
 善立寺の向いには、冥界への道として小野篁が使っていたという井戸が残る六道珍皇寺があります。境内の閻魔堂には篁の像と閻魔像が並んで安置されていました。あまり広くはないお寺ですが、どことなく「異空間」といった雰囲気を感じました。
 清水道から東山三条へ。前出の城安寺を見に行きました。こちらは幕末当時と変わらない場所に立っており、わずかな期間ではありましたが、御陵衛士のメンバーが行き交った道、目にした風景を体験できてうれしかったです。
 そこから三条京阪まで歩き、バスで河原町丸太町へ。前回、発見できなかった桂小五郎寓居跡を訪ねました。前回はどうやら一つ手前の道で迷ってしまったようで、すぐに発見することが出来ました。建物はそのまま残されていますが、中が見学できないのが残念です。
 再び河原町通に出て、二条通を西へ。寺町通りを南へ進むと程なく間部詮勝寓居跡の石碑を発見できました。ここには昭和40年代まで、現在は岩倉に移転した妙満寺があり、老中間部詮勝はここに滞在して安政の大獄を指示していました。また、妙満寺には長州藩の本陣も置かれたことがあり、河原町御池の長州藩邸へは歩いてすぐです。
 寺町通りを四条まで歩くと、そろそろ残り時間が少なくなってきました。最後は壬生を散策することにして、その前に高倉にある「はろうきてぃ工房」へ(笑)ちりめんや西陣織などを使ったキティグッズを扱う、京都ならではのお店です。…勢いで、小紋柄の風呂敷を買ってしまいました(笑)
 四条高倉から壬生寺道へ。壬生寺で遅い初詣を済ませ、壬生塚、八木邸、新徳禅寺、前川邸といつものコースをたどり、バスで烏丸へ。阪急とモノレールを乗り継ぎ、伊丹空港へと向かいました。今回は珍しく「京都観光」をしてきたので、いつも以上の充実感でした♪

東寺
東寺
三十三間堂
三十三間堂
六道珍皇寺
六道珍皇寺



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