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テーマ:幕末、その他

京都

2002/11/01(FRI)

 6月に地球ゴージャス「カルテ」大阪公演を観に行った頃から、寺脇康文氏出演のドラマ「京都お見合いツアー殺人事件」「42歳の修学旅行」など、京都を舞台としたドラマのロケ地を地球ゴージャスファンの仲間で訪ねてみようか…という計画が持ち上がりました。関東から関西在住の方々に声をかけ、最終的に10名程度の参加者が集まりました。3ヶ月前からはメーリングリストも作成し、いろいろと話しあってきました。ロケ地めぐりは11/2の午後〜11/3ということに決まりましたが、2泊3日の予定ではほとんど一人で京都を散策する時間が取れません。そこで、休みを取って11/1から3泊4日の旅を始めました。
 当初の計画では、関空→梅田→ユニバーサルシティと、地域限定キティを探してから京都に入るはずでした。しかし、行くはずだった店の営業時間が変更になってしまったため、先に大阪で買い物をしてしまうと京都に入るのが午後になってしまいます。普段はあまり社寺仏閣の見学をしないので、京都入りする時間はあまり気になりませんが…今回は15時半に受付が終了してしまう寺を拝観しようと思っていたので、買い物は後回しにすることにしました。

 関空から天下茶屋乗り換えで烏丸まで行き、ホテルに荷物を置いて散策に出かけたのは11時半。伊丹から入っていたら、おそらく1時間は早く散策を始めることができたでしょう(^^;しかし、先に航空券を予約してしまっていたので、仕方がありませんでした。まずはバスに乗って妙心寺へ。ここは大小46もの塔頭がある大きな寺で、狩野探幽による法堂の天井画が有名です。幕末がらみの史跡はありませんが、伊庭八郎の「征西日記」にも登場するので、八郎が見たのと同じ風景を見てみたい、という気持ちが強く、今回足を運ぶことになりました。
 北門から入り、ぶらぶらと散策をしていると、「象山佐久間先生墓所」と刻まれた石碑を見つけました。その石碑が指し示していた寺大法院に、立ち寄ってみることに。ここは幕末の学者で、吉田松陰先生など多くの門下生を輩出した佐久間象山の菩提寺でした。肥後の河上彦斎によって1864年、三条木屋町で暗殺された象山は、信州松代藩出身であったので、藩主真田家ゆかりのこの寺に埋葬されたとのこと。京都に墓があることは知っていましたが、まさかここだったとは思わず、偶然発見できたことがなんだかうれしかったです。しかし、墓所は非公開のためお参りすることはできませんでした。その代わり、春と秋にしか公開しないという庭園を見学しました。拝観料は600円で、少々高いかな…と思っていましたが、庭園の見える縁側に行くと、抹茶とお菓子が出てきました。これはかなりお得です(笑)紅葉は1〜2分くらいでまだ青さが目立ったのが残念でしたが、人も少なく、静かに庭とお茶を堪能できました。
 ここでかなり満足してしまったので、法堂の見学はどうしようか迷っていましたが…目の前に修学旅行らしき団体を見つけてしまったので、入るのはやめました(笑)そして、京福妙心寺駅まで歩き、御室駅へ。
 今度は御室仁和寺を拝観しました。ここも「征西日記」に登場する寺です。八郎は京都滞在中に2度、ここを訪れています。2回以上行っている場所は、仁和寺以外では伏見稲荷御旅所と飛雲閣くらいしかないので、かなり個々が気にっていたのでしょう。CMなどにもよく使われる寺ですが、人気が高いのでもしかしたら修学旅行生などの団体とバッティングしているのでは…と不安がありました。
 しかし、中に入ってみると人はまばら。少し待っただけで、中庭を臨む縁側には誰もいなくなってしまいました。水の音と風の音しか聞こえず、紅葉もかなりいい雰囲気。こんなにゆったりとした時間の流れを感じられたのは久しぶりです。土日だったら、こんな状況は絶対にありえないだろうな…と、一人、まさに教徒らしい雰囲気を堪能しました。
 バスを少し待ち、次は龍安寺へ。教科書には必ず登場する枯山水の石庭であまりにも有名ですが、あえてそういった観光地は避けつづけていたので、今回が初めての拝観となりました。入口付近で修学旅行らしき団体を発見し、ここでは仁和寺のようなゆったりした雰囲気では楽しめないだろう…と覚悟はしていたものの、中に入ってみるとあまりの人の多さにやる気をなくしてしまいました(^^;とりあえず、縁側の席を確保するにも時間がかかる始末。なんとか、端の席を確保して庭を眺めてみるものの…話し声ばかりが聞こえてきて、全く風情がありません(;_;)ここも「征西日記」に登場する寺ですが、八郎の時代にはここまで観光化されていることはなかったでしょう(^^;残念ながら、ここでは庭のすばらしさを楽しむ余裕すらありませんでした。
 仁和寺から妙心寺・龍安寺を経て金閣寺に至るコースは「きぬかけの道」と呼ばれています。しかし、金閣寺ではさらなる混雑が予想されたので、ここでちょっとマニアックな等持院に行きました。庭園も有名ですが、ここは足利家ゆかりの寺で、初代尊氏から15代義昭までの木造が安置されています。そのうち、初代尊氏、2代義詮、3代義満の首が持ち出され、三条河原に晒されるという「足利三代木像梟首事件」は、京都における攘夷運動の始まりともいえる事件でした。その後、木造の首は等持院に戻されたということで、現在ではどうなっているかをチェックすることに(笑)
 首は斬られたのではなく、抜き取られていたようで、それらしき形跡を確認することはできませんでした。また、寺の解説書にもその事件に関する記述は一切なく、ちょっと残念でした。しかし、ここの庭園は噂どおり非常にすばらしいものでした。小さな池と苔の生い茂る庭で、それほど広くはありませんが、拝観者も多くないのでゆっくりと見学できます。まさに穴場だなぁ…と思いました。
 京福等持院駅へ着いたのは15時すぎ。まだ日没には時間があるので、帷子ノ辻で電車を乗り換え、蚕ノ社で降りました。蚕ノ社とは通称で、正式名称は木島坐天照御魂神社といいます。通称が示すように、ここに奉られているのは蚕で、境内には西陣の織元が奉納したと思われるものが多くありました。ここも「征西日記」に登場しています。この神社で最も有名なのは、三角鳥居です。足が3本あり、その由来は諸説あるものの定かではありません。樹木が欝蒼と茂る池の中にぽつんと立つこの鳥居は、なんだか厳かな雰囲気に包まれていました。
 いったんホテルに戻り、少し休んだあとは戒光寺へ。乗った大宮通経由の循環系統バスにトラブルが発生してしまったため、烏丸から地下鉄で九条へ。しかし、なかなかバスがきません。やっと戒光寺に着いた頃には、日も落ちてしまっていました。しかし、京都へ来て平助の墓参をしないわけにはいきません。あまりゆっくりはできませんでしたが、お線香だけあげてきました。

 やっと予定していたコースを回り終えたので、京福の東福寺駅から大阪へ、地域限定キティを探しに行くことにしました(笑)東福寺駅は普通電車しか止まらないので、七条へ戻りましたが…ちょうど特急が行ってしまった後だったので、三条まで戻って座っていくことにしました(笑)淀屋橋から心斎橋の「さんりお屋」、梅田へ戻ってHEP NAVIOのギフトゲート、そしてユニバーサルシティのギフトゲートと3店をはしごしたものの…めだった収穫はなし(;_;)わざわざ行ったのに、がっかりでした。阪急で烏丸まで戻り、ホテルへ。ホテルでもあまりのんびりしている時間はなく、慌しい一日が終わりました。

大法院 御室仁和寺 龍安寺 蚕ノ社
大法院 御室仁和寺 龍安寺 蚕ノ社



2002/11/02(SAT)

 朝10時に烏丸駅で、大阪から来た友達を拾い、次のホテルにチェックイン。さすがに同じホテルに3連泊はしたくなかったので、初日は別のホテルに泊まっていました(^^;待ち合わせの時間は13時なので、まだ余裕があります。そこで、東福寺に行くことにしました。東福寺も「征西日記」に登場する寺です。今回は、かなり八郎がらみの史跡ばかりを歩いていますが…しっかり観光地をまわっているので、140年近く経った現在でも通用するようなコースが多いのが面白いです。
 四条烏丸から四条河原町へ。そして京阪に乗り換えて東福寺駅へ。バスはあてにならないので、この行き方が最も確実でした。東福寺も多くの塔頭を持つ寺院で、駅から5分ほど歩くと総門があります。総門をくぐってすぐ右手にある退耕院は、鳥羽伏見の戦いの際、長州藩の本陣が置かれた寺で、この戦いで戦死した長州藩士の墓があります。墓域は非公開ですが、境内には墓所の存在を示す石碑がありました。
 さらに10分ほど歩くと、有名な通天橋が見えるにさしかかります。ここから見る紅葉は非常に有名ですが、まだ2〜3分程度の色づきでした。なので、通天橋ではなく方丈庭園を見学することに。ここは京都五山に見立てた盛り土や幾何学的な砂紋のある前庭、市松模様に苔が敷き詰められた裏庭など4つの庭で構成されています。特に前庭は、勅使門に見られるような歴史の重みと、近代的な遊び心が感じられる庭でした。
 まだ時間があるので、友達を付き合せて戒光寺へ。東福寺からは歩いて10分ほどでしたが、雨が降り出してしまいました。せっかく持っていったお線香も、これでは使えません。仕方ないのでお参りだけをして、帰ることにしました。
 泉涌寺道のバス停から大石橋へ。地下鉄で烏丸まで行き、新京極あたりで時間をつぶそうと思っていたのですが…京都駅で、たまたま、この日一緒に回るメンバーと会ってしまいました(笑)待ち合わせ場所まで行く必要がなくなったので、とりあえずホテルで待機。みんなのチェックインを待って移動しました。
 まずは祇園へ。「42歳の修学旅行」ロケ日記に書かれていたうどん屋「萬樹」で昼食を取るはずでしたが…なんと臨時休業中。いきなり出鼻をくじかれました(^^;祇園はあまり店を知らないので、ダメ元で「十二段家」に行ってみることにしました。ここはぶぶ漬けとだし巻き卵が有名で、いつも行列になっています。しかし、閉店間際だったためかスムーズに入ることができました。もちろん注文したのはぶぶ漬け。メインのぶぶ漬けよりも、付け合せのだし巻きの方がおいしかったです(笑)
 店のある花見小路から建仁時の門前を経て南へ進むと安井金比羅宮です。「京都お見合いツアー殺人事件1」では、ここの門前にバスを止めるシーンが見られました。縁切り寺として有名なので、今回もいろいろとお願いしてきました(笑)
 そして、普段は素通りする二年坂産寧坂も、よくドラマのロケ地として使われている場所です。ここから清水寺までの道は、「京都お見合いツアー殺人事件」でも「42歳の修学旅行」でも使われていました。土産物屋をのぞきつつ、清水寺へ。舞台は大変な混雑になっていました(^^;安井で悪い縁を切ったので、今度は地主神社で縁結びです(笑)一人ではまず行くことのない、ベタな観光コースですが…大人数だったので、なかなか楽しむことができました。
 帰りは茶碗坂を下って東山五条へ。バスに乗ったら何分かかるかわからないので、京阪五条まで歩き、四条へ戻りました。時間は17時を少し過ぎたところ。ここでティータイムです(笑)「都路里」に並んでみたものの、大人数なのでなかなか入れそうにありません。そこで巽橋近くの「ぎをん小森」を探りに行くと、10分ほどで入れそうな感じでした。電話連絡をして全員を呼び、入店。ここはお茶屋を改築した甘味処で、雰囲気も味も上品でした。
 パフェなどを楽しんだあとは、怒涛の宴会へ(^^;三条川端の「うしのほね」に行きました。ここは町家を改築した、こぢんまりとした居酒屋で、サワーの種類が豊富でした。

東福寺 防長忠魂碑
東福寺方丈庭園 防長忠魂碑



2002/11/03(SUN)

 ホテルの部屋で、暖房と除湿を間違えてしまったため、朝から声が出ない状態になってしまいました(;_;)しかし、この日が最も多くのロケ地を回る予定なので、少々無理をしつつホテルを出発。京都駅から山陰線で亀岡駅まで行き、保津川下りの乗船場を目指しました。朝早いにも関わらず、待合所はけっこうな混雑っぷリ。乗船登録をすると、1時間〜1時間半待ちになるので、名前が呼ばれるまで待機するよう指示されました。そこで、待合室に貼られたサインなどを見ていると…突然名前が呼ばれました(^^;まだ全員が揃っていない状態だったので、慌てて迎えに出る始末。結局、5分も待たないで乗ることができました。
 水かさは多くもなく、少なくもなく。途中、少しだけ急な流れの場所はありますが、ほとんどはゆったりとした川の流れを楽しむことができます。多くの奇岩を見たり、トロッコ列車と遭遇したりしながら、あっという間の2時間が過ぎてしまいました。
 嵐山に着いたのは、予定よりも1時間半も早い12時。昼食の予約を13時半にしていたので早めてもらい、1時間自由散策をすることにしました。土産購入班と天龍寺見学班に分かれましたが、もちろん私は天龍寺を見学。紅葉は全体的には3〜4分の色づき。一部見頃の木もありました。思っていたよりも人が少なく、写真も撮り放題でした(笑)時間はたっぷりあるので、庭全体を散策し、隣にある塔頭寺院松巌寺の龍馬像を見に行ったりしながら集合場所へ。途中、コロッケをつまみ食いしたりもしました(^^;
 嵯峨嵐山駅近くの「京野菜館」というところで京野菜を使ったランチメニューを取り、再び嵯峨野の散策へ。まずは常寂光寺へ行きました。前回はまさに見頃〜終わりくらいだったので、大変な混雑でしたが、今回は境内をゆったり歩くことができました。しかし、この頃から体調が悪くなってきてしまいました(^^;
 続いてニ尊院にも行きましたが、疲労がピーク状態。ほとんど見学することもできず、飴湯を飲んでいました(;_;)帰りは竹林を通りましたが、野宮神社などによる余力もなく…「京野菜館」に戻って一休みすることに。本当なら、青連院門跡のライトアップに行くはずでしたが、私のせいで計画が中止に。みんなに大変迷惑をかけてしまいました。
 嵯峨嵐山駅から山陰線で二条まで行き、地下鉄で三条京阪へ。三条大橋近くのクイックマッサージで休憩しつつ、この日の宴会場所「左近太郎」へと向かいました。以前あった「晋作」というカクテルがなくなっていたのが非常にショックで、体調が悪いのも手伝い、あまり楽しむことができませんでした。

保津川下り 天龍寺 二尊院
保津川下り 天龍寺 二尊院


2002/11/04(MON)

 どうやら風邪をひいてしまったようで、最終日は最悪の体調でした。それでも、今回京都に来た目的の一つである、霊山歴史館の特別展「龍馬の世紀」を見ずに帰るわけには行きません。友達を付き合わせ、四条烏丸から河原町、四条京阪前からはバスで東山安井へ。長い坂を登り、霊山歴史館へ行きました。この特別展は、龍馬を中心とした30人ほどの人物紹介と遺品などの展示となっています。主に霊山歴史館の所蔵品が展示されていましたが、高杉晋作の鉄扇は初めて見たものでした。鉄扇は武器にもなるという重いものです。晋作のものは骨だけが鉄製でしたが、土佐出身の海援隊士、岡本健三郎のものは全てが鉄製でした。これはそうとう重いだろうな…と、まじまじと見てしまいました。
 なぜか1階に島田魁の函館新選組名簿が展示されていましたが、それ以外は基本的に薩長土肥あたりの志士ゆかりの品ばかり。しかし、2階の武市半平太のスペースに展示されていた「番付表・近世報国赤心士鑑」に目が止まりました。編者は西村兼文。西本願寺の執事で、新選組に関する著作を多く残しています。もしや…と思ってじっくりと見てみると、前頭クラスに伊東さん以下、油小路で戦死した御陵衛士のメンバー4名の名前が載っていました。これはかなりの驚きでした。確かに伊東さんは後に従五位を追贈されていますし、平助も靖国に合祀されているという噂は聞いたことがありました。しかし、明治9年の段階で、彼らのことを「報国の士」として取り上げてくれていたことが、なんだかとてもうれしくなってしまいました。ちなみに、横綱クラスには毛利敬親、島津斉彬、三条実万など藩主や公家の名前が挙がっていました。この番付表に載っているのは、作成時にすでに没している人間のみなので、薩摩の西郷・大久保や長州の桂といった名前は見つかりませんでした。
 目的を達成できたので、なんだか調子がよくなってきました(笑)お昼になったので、下河原町通りの「ひさご」で親子丼でも…と思い、行ってみましたが、長蛇の列(^^;仕方がないので祇園まで歩き、一力の向いの店に入りました。腹ごしらえをし、三条京阪まで歩いて地下鉄で二条城前駅へ。次の目的地は二条城です。
 二条城は何度か行っていますが、何度行っても大政奉還を発表した二の丸御殿大広間が気になって仕方ありません。二条城は明治以降、多少修復がされているようですが、この大広間は手が加えられていないとのこと。歴史の舞台そのものにふれると、さらに興味や理解が深まるのがいいです。また、この二条城も「征西日記」に登場するので、八郎が警護に当たっていたであろう建物の周辺などもじっくりと見学してきました。
 そして、最後の目的地へと向かうことに…。二条城前からバスで堀川丸太町へ。堀川丸太町から歩くこと5分ほど。佐々木酒造という蔵元が最後の目的地となりました。ここは俳優佐々木蔵之介氏の実家。アポなしで訪問したにもかかわらず、蔵之介のお父さんが対応してくれました。次々と酒の瓶が並べられ、試飲用のコップも20個ほど用意してくれました。本醸造から純米大吟醸まで飲み比べをしたり、お父さんから酒造りのうんちくを聞いたり…いつもの一人旅ではできないことがたくさんでした。最後の最後になって、お父さんから「蔵之介は関係ないんですか?」と聞かれたのが印象的です(笑)やはり、蔵之介ファンが訪れることが多いのでしょう。最後の一枚だと言って、公演中の舞台「新・明暗」のオリジナルラベルを貼ったお酒を出してきてくれました。実は午前中まで、蔵之介は実家にいたそうです(^^;かなりのニアミスをしてしまいましたが、楽しいひとときを過ごすことができました。
 飛行機の時間が迫っていたので、私は一人で帰ることに。ホテルに荷物を取りに行き、烏丸から伊丹空港へ。伊丹ではいろいろと地域限定キティを買ってしまいました(笑)

二条城庭園 佐々木酒造
二条城庭園 佐々木酒造


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