京都
2002/12/27(FRI)
2002年最後の旅行先は京都となりました。主目的は12/28のALFEEライブ(大阪城ホール)参加ですが、前後1泊ずつ多くスケジュールを取り、京都観光も十分にできるようにしました。
いつも利用している始発の伊丹行きで大阪へ。南茨木から阪急経由で京都入りしました。モノレールで大阪空港駅を出たときから、外は吹雪いています(^^;天気予報では4日間とも晴れや曇りだったので、傘を持ってきていません。仕方がないので、京都駅の地下街で傘を調達し、ホテルへ向かいました。荷物を置き、再び地下鉄に乗って向かったのは国際会館駅。久しぶりに、そして1年前のリベンジとして…岩倉の三縁寺に行くためです。しかし、今回も門は開いていません。しばらく待っていると、お寺の方が来て、開け方を教えてくれました(^^;引き戸だと思っていたものが、実は押すだけの戸だったので、実はいつでも開いているそうです。ちょっとショックでした…。
何はともあれ、初めて三縁寺の墓地に足を踏み入れました。案内板などはありませんでしたが、小さな鳥居が目印になってすぐにわかりました。正面に宮部鼎蔵と松田重助、左側に吉田稔磨、杉山松助、北添佶磨、望月亀弥太、石川潤次郎、広岡浪秀の6名連名、そして大高又次郎の墓碑があります。ノートの類はなく、手入れも行き届いていて非常に気持ちよく墓参できました。
さらに今回は、岩倉具視幽棲旧宅にも行くことにしました。岩倉花園町のバス停から実相院行きに乗って約10分。ここは年末年始休館なので、ぎりぎり間に合いました。雪がかなり降ってきたので、暖房のないレトロな対岳文庫の建物は非常に寒かったです(^^;前回、ここを訪れたのは1998年の夏。その時に比べれば、かなり幕末に関する知識も増えているので、一つ一つの展示が非常に興味深く思えました。
まだ昼過ぎなので、もう少しいろいろと周ってみることにしました。バスで出町柳駅まで出て、そこから銀閣寺へ。6月には西本願寺飛雲閣、8月には金閣を見学しているので、これで「京の三閣」制覇です(笑)小学生の頃に一度行ったことがありますが、なんだかぱっとしない印象がありました。確かに金閣に比べれば地味で、小学生の目にはただの古い建物としか映らなかったのだと思います。しかし改めて見てみると、よく手入れの行き届いた庭園と、700年近く変わらない歴史の風格のようなものを感じました。境内をぐるっと散策し、そろそろ帰るか…と総門付近へ行くと、銀閣寺(東山慈照寺)の由来と本山の案内が出ていました。本山は烏丸今出川の相国寺。ここには禁門の変での犠牲者を埋葬した長州藩・薩摩藩墓地があるので、一度行ってみたいと思っていました。銀閣寺道から循環203系統のバスに乗れば乗り換えなしで行けるので、早速行ってみることに。
同志社前でバスを降り、ちょっと同志社大学の今出川キャンパスを見学した後、相国寺の総門をくぐりました。境内の案内図を見ると、長州藩墓地は西の端、薩摩藩墓地は東側で門の外。しかも工事中のため、かなり迂回しなければ2つを周ることができません。しかし、ここまで来たので両方行くことにしました。まずは長州の方へ。総墓地を入ってすぐのところに「長藩士戦亡霊塔」と刻まれた墓石と、由来が刻まれた石碑があります。禁門の変で戦死した長州藩士20名ほどの首塚であるということですが、残念ながらこちらに葬られている人たちの名前はほとんど明らかになっていません。お参りを済ませ、続いて薩摩の墓地へ。いったん総門を出て、歩くこと5分ほど。公園のようになっているスペースに「薩藩戦死者墓」と刻まれた大きな墓石があります。長州の方はひっそりとした雰囲気なのに、こちらはかなり目立っています(笑)墓域へ立ち入ることができないのは残念でした。
地下鉄の今出川駅から京都駅方面へ。いったんホテルに帰ろうかどうか迷いましたが、なんとなく戒光寺墓地へ行きたくなったので、九条まで乗りました。大石橋からバスに乗り、泉涌寺道へ。今年は何回、平助の墓参をしたかな…と考えてみると、この日で10回目でした。京都に来るたびにここへ来ているので、そのくらいの回数になっていました(笑)ファンが置いていったと思われる千羽鶴にちょっと違和感を感じたものの…2004年の大河ドラマが放送される頃には、もっとすごいことになるだろうと思ってしまいました。
帰りは途中の今熊野バス停で下車し、「ニシダや」で漬物を購入。京都駅周辺でちょっと買い物をして、ホテルに戻りました。
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| 三縁寺 |
銀閣寺 |
2002/12/28(SAT)
2002年の京都旅行では何度か、伊庭八郎の「征西日記」に基づいた散策をしてきました。メジャーな観光地を網羅しているので、なかなか面白い散策ができます。今回もそれに従って、宇治方面へ行ってみることにしました。夕方までには大阪に行かなければならないので、京阪沿線の宇治へ行くのはちょうどよかったのです。京都駅から近鉄で丹波橋まで行き、そこから京阪で中書島。宇治線に乗り換えて…と計画を練っていたものの、竹田駅に着いた時にふと「城南宮はここから近かったっけ…」と思い出してしまいました(笑)なので、急遽竹田駅で下車。バスで城南宮へ向かいました。城南ぐうは戊辰戦争での薩摩藩の本拠地。すぐ近くの小枝橋付近は、戊辰戦争開戦の地です。まずは城南宮の境内を散策し、ちょっと歩いて鳥羽離宮跡公園へ。小山のようになっているところに、「鳥羽伏見戦跡碑」の石碑があります。この石碑は鳥羽離宮の由来や、ここが戊辰戦争の開戦地であることを記したもので、前回ここを訪れた時にはその存在に気付いていませんでした(^^;
その後、小枝橋のたもとにある「鳥羽伏見戦跡」石碑を見に行きましたが、前回行った時とは石碑の向きが変わっていました。以前はガードレールに文字がさえぎられてしまっていましたが、90度横を向いたので、今は全体を見られます。また、案内板もリニューアルしていました。まさかとは思いますが、これも2004年の大河ドラマに向けてのことなのでしょうか(笑)少々不安を感じながら、竹田方面へ戻りました。
駅まで歩いてもよかったのですが、10分ほど待てば中書島行きのバスが来るので、城南宮東口というバス停でバスを待ちました。中書島に着くと、2分ほどの待ち合わせで宇治行きの電車がありました。ここからは「征西日記」のコースをたどることになります。2/21に八郎は平等院→宇治橋→万福寺と宇治を散策し、船で伏見まで出ています。しかし、私は伏見からこのコースを始めてしまったので、逆周りをすることに。黄檗駅で降り、万福寺へと向かいました。小さな市場を通り抜けると、朱塗りの総門前に着きます。境内の建物もみな中国風で、仏像の顔も名前もなじみのないものばかりです。しかし、どことなく愛嬌があり、見ていて飽きなかったです。特に気に入ってしまったのが、魚の形をした「木魚」…吊るされていたので、通常の木魚とは違う用途で用いられるもののようです。鳴らしてみたかったのですが、「絶対に叩かないでください」という張り紙が貼ってありました(笑)私と同じことを考える人は多いのでしょう…。
京阪で宇治駅へ向かい、まずは宇治橋を渡りました。三条大橋と同じく、江戸時代の擬宝殊などをそのまま使っているので、レトロな雰囲気がとてもよいです。橋を渡って、宇治茶の店が建ち並ぶ通りを過ぎると平等院です。ここへ来たのは、中学の修学旅行以来…約10年ぶりです。受付の前のスペースで、クラスごとに整列させられたっけ…と、懐かしく思いながら見学をスタート。鳳凰堂の前では10円玉を取り出して確認している人たちがあまりにも多かったので、私はチェックするのを控えました(^^;さすがは国宝。池に浮かぶその姿は、なんともいえない美しさです。また、修学旅行の時にはなかった鳳翔館という博物館が境内にオープンしていました。中には鳳凰や雲中供養菩薩像など国宝が多数展示されていました。それほど広くはありませんが、展示内容は非常に充実していました。
平等院散策を終え、宇治川の中洲を通って駅の方へと戻りました。京阪で淀屋橋まで行き、ライブの前に適塾を見学しようかと思っていましたが…行ってみると、この日から年末の休館期間に入ってしまったようです(;_;)仕方がないので、近くの中之島公会堂や日銀大阪支店などのレトロな建物をチェックし、いったん梅田へ。少し買い物をし、肥後橋に向かいました。この界隈は現在もビジネス街ですが、幕末当時も多くの藩邸が建ち並んでいたところで、長州藩邸跡と薩摩藩邸跡には石碑があるそうなので、実際に行ってみることにしました。肥後橋駅から10分ほど歩いた土佐堀二丁目交差点の植え込みの中に、長州藩邸跡の石碑がありました。さらにそこから少し歩くと、薩摩藩邸跡の石碑を発見。あまり仲のよくなかった2つの藩邸が、これほど近い場所にあったのは少し不思議な感じです。
ライブの開演時間まではあと1時間しかありませんでしたが、心斎橋に寄って地域限定キティをいくつかGETし、大阪城ホールへと向かいました。開演時間15分前に到着したにも関わらず、会場前では何人か友達に会うこともできました。ライブは3時間半の長丁場で、京都に戻ったのは23時ちょっと前でした。
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| 万福寺木魚 |
宇治平等院 |
大阪長州藩邸跡 |
大阪薩摩藩邸跡 |
2002/12/29(SUN)
昨日のライブの疲れが残っていましたが、まだ行き残している所がたくさんあるのでのんびりはしていられません(笑)まず行きたいと思っていたのは嵐山、それから淀です。ホテルからは淀の方が近いので、まずは嵐山方面へ。たまたまホテル近くのバス停に山越行きが来たので、これに乗って広沢池に行くことにしました。30分ほどで終点の山越中町に到着。そこから10分ほど歩いたところにあるのが広沢池です。時代劇の撮影がよく行われていて、月の名所でもあることから、いい写真が取れることを期待していたのですが…毎年冬から春にかけては、池の水を抜く「鯉揚げ」を行っているようです。なので、目の前に広がっていたのはただの湿地帯でした(;_;)
がっかりしたので、すぐに嵐山方面へ向かうことにしました(笑)山越バス停まで戻ってバスを乗り継ぐか、このまま歩いて大覚寺・大沢池方面からバスに乗るか迷いましたが、バスの本数があまり多くないので、歩くことにしました。地図の表記では、1Kmほどに見えましたが…歩いても歩いても、大覚寺には着きません(;_;)30分以上歩いて、やっと到着しました。あまりにも疲れたので、大覚寺の境内でのんびりすることにしました。ここは嵯峨離宮と呼ばれていたこともある古刹です。中に入ったのは初めてでしたが、御室仁和寺と少し似ているような気がしました。本堂から見る大沢池は、下から見るのとはまた違った印象でした。しかし大沢池の水も、以前来た時よりかなり少なくなっているような気がしました。まさか、冬はどこの池も水を抜いているということはないと思いますが…。
大覚寺からはバスで嵐山方面へ。途中の嵯峨釈迦堂前で降りました。嵯峨釈迦堂こと清涼寺は、その名のとおり釈迦如来像を本尊とした寺院です。庭園が自慢だという案内板を見て、思わず拝観することに(笑)しかし庭園よりも本堂内部に展示されていた「五臓六腑」が私の興味をひきました。これは仏像の中から出てきたという絹製の臓物を模したものです。けっこうリアルで、思わず見入ってしまいました(^^;
今度こそ嵐山方面へ…と思っていると、目の前に長い行列が。「森嘉」という有名な豆腐店の行列でした。ここの豆腐は非常に有名なので、私も並んで買ってしまいました。そして、豆腐を手に嵐山へ(笑)実は広沢池〜嵯峨釈迦堂というルートは、「征西日記」2/28の逆ルートです。その日は御室仁和寺→嵯峨釈迦堂→清滝→愛宕神社→文徳天皇陵→広沢池というかなり盛りだくさんな散策となっています。車もない時代なのに、よく1日で周れたな…と思ってしまいます。清滝やあたこ神社まで行ける体力はないので、3/7の嵐山散策のルート(蚕ノ社→渡月橋→法輪寺→千光寺)をいくつかたどってみることにしました。という訳で、渡月橋を渡り、法輪寺へ。境内には朱塗りの三重塔と、清水寺と同じような「舞台」があります。残念ながら「舞台」への立ち入りは禁止になっていましたが、おそらく八郎の時代にはここから嵐山を一望することができたのでしょう。しかし、現在は多くの旅館などが立ち並んでいるので、渡月橋すら見えないかもしれません。
まだ時間的な余裕はありますが、かなり疲れています(^^;最後に千光寺にも行こうと思っていましたが、嵐山観光船の乗り場から15分ほど歩き、さらに山を登らなければならないので、途中まで行って断念しました。かなり高いところにあるので、ここからは今でも嵐山を一望できるそうです。もう少し体力のある時にリベンジします。
京福の嵐山駅に向かっていると、たまたま京都駅行きのバスが来たのでそれに乗りました。しかし、すでに渋滞にはまってしまっているので、阪急嵐山駅で下車(^^;阪急で京都の中心部に戻りました。時間は15時過ぎ。19時に友達と約束がありましたが、まだ3時間もあります。1時間ほどホテルで休むとしても、まだ余裕があるので思い切って淀に行くことにしました。河原町から京阪四条まで歩き、普通電車で淀駅へ。それほど距離はないはずですが、途中駅で特急や急行の通過待ちをしたため30分以上かかってしまいました。
淀駅から向かったのは戊辰役東軍戦死者埋骨地。京阪の線路沿いにあるので何度か車内から見てはいましたが、行くのは初めてです。線路沿いを歩くこと15分ほどで到着しました。今、この付近は淀競馬場やその駐車場になっていますが、戊辰戦争当時は激戦が繰り広げられていた地域。当時の面影は全くありませんが、付近の妙教寺には弾痕のある柱が残っているとのこと。いちおう今回は地図を持っていたので、そちらへ行ってみることにしました。
この時、淀駅付近まで戻ればよかったのですが…距離的には競馬場の駐車場を突っ切る方が近かったので、強行突破(笑)大きな道路沿いに出ました。市バスのバス停があり、そこを目印に地図を調べてみましたが…運悪くそのバス停は載っていませんでした(;_;)方向的には合っているはずでしたが、ちょっと自信がなかったのと、日もかなり傾いてきたので捜索を断念。運良く1時間に1本しかないバスに乗れたので、そのまま中書島を目指しました。後でもっと詳しい地図を調べてみると、そのバス停から淀駅方面へ1つ行った所が最寄バス停だったようです。ちゃんと場所は確認できたので、次回は迷わずに行けそうです(笑)
中書島から帰ってもよかったのですが、のどの痛みと熱っぽさという風邪の症状が現れたので、大手筋で降りて伏見桃山の商店街で風邪薬を調達することにしました。しかし、なかなか薬局は見つからず、結局京阪の駅前まで行ってしまいました。そういえば…と思い出し、行ってみたのは魚三楼という料亭。戊辰戦争時には薩摩の本陣であった御香宮と、旧幕軍の本陣・伏見奉行所に隣接していたため、格子に弾痕を残しています。遠くからでもその跡ははっきりわかるほどでした。
結局、近鉄の桃山御陵前駅まで歩き、京都駅へ戻りました。ホテルで休んだ後は、四条烏丸へ。お茶屋を改装したというお店でお酒と京料理を楽しんできました。
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| 広沢池 |
嵯峨釈迦堂 |
法輪寺 |
東軍戦死者埋骨地碑 |
魚三楼 |
2002/12/30(MON)
怒涛のように遊びまくった3泊4日の旅もついに最終日。スルっとKANSAIのフリーきっぷが使えなくなったので、今度は18きっぷを使って彦根まで行くことにしました。その目的は彦根城見学と、井伊直弼がらみの幕末史跡の散策。年末休館で博物館などは見学できませんでしたが、彦根城はさすが国宝、ほとんど手が加えられていないため、登城するのに一苦労でした(^^;
再び京都に戻り、時間ぎりぎりまで遊ぶことにしました。しかし、年末ということもあってか道が混んでいます。東山七条乗り換えで泉涌寺道まで行くのに30分以上かかってしまいました。もしかしたら、JRの東福寺経由の方が早かったかもしれません…。2002年最後の墓参をし、壬生へ。九条通をまわって行きましたが、こちらもいつもより時間がかかりました。
四条大宮から光縁寺、前川邸、八木邸、壬生寺とお約束のコースをたどり、壬生寺道から四条河原町へ。河原町通を北上し、近江屋跡などをチェックしながら三条河原町のイノダでちょっと休憩。池田屋跡などを見ながら三条大橋を渡り、Uターン。
三条木屋町を北上し、再び三条河原町まで戻ってきました。そこからは河原町通を南下するバスで京都駅まで戻り、ホテルに荷物を取りに行きました。京都駅からは新快速で大阪まで行き、ユニバーサルシティのサンリオに寄ってから天王寺経由で関西空港へ。2002年最後の長い旅はこれで終了です。
(C) MOTOKO