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テーマ:幕末、その他

京都

2004/09/19(SUN)

 6月〜7月は2週おきくらいのペースで行っていた京都ですが、夏休みの時期は暑い+大混雑なのであえて避けていました。本当は10月末まで行く予定はなかったのですが、8/1〜9/30の期間限定で輪違屋の見学ができることを知り、急遽予定を入れました。輪違屋は現役の置屋で、もちろん一見さんお断り。この機会を逃すと、まず見学できるチャンスはありません。例のごとく、ここへ行くことと戒光寺に行くこと以外は特にプランニングせず、きままな2日間を過ごしてきました。

 伊丹空港→南茨木→烏丸と移動し、ホテルに荷物を預けて出発です。輪違屋へは翌日、友達と一緒に行く約束をしていたので、この日は幕末史跡を適当に周ることにしました。まずはバスで安井金比羅宮へ。悪縁切りと良縁結びを祈願してきました。続いて、霊山歴史館へ。9月から「大新選組展」の第三期「龍馬と新選組」がスタートしたので、展示内容の変化をチェックしに行きました。またもや館内は混雑していましたが、混んでいたのはビデオ上映の場所と売店付近で、2階の展示室はそれほどでもありませんでした。展示内容はというと、配置が変わったかな?と思う史料が数点あった程度で、内容自体は前期・前々期とさほど変わっていません。もう少し内容に変化があってもいいのでは?と残念に思いました。新しい本がいくつか出ていましたが、ざっと内容を見た感じでは特に目新しさを感じなかったので今回はおとなしく帰りました(笑)相変わらず池田屋フィギュアは人気がありましたが、平助をGETした人ががっかりしていたのを見て、さらに係りの人が「残念だったね」と言ったのを聞いてちょっとむかつきました(^^;歳さんや総司のファンに比べれば平助ファンは少ないかもしれませんが、「残念」はないだろうと…。

 その後は二年坂・三年坂を通って清水寺の参道に出ました。しかし清水寺には行かず、清水坂を少し下ったところにある安祥院へ。ここは「何日までに」と期間を限定してお参りすることでどんな願いでもかなえてくれるという日限地蔵が有名ですが、境内には安政の大獄で犠牲になった梅田雲浜の墓所があるということで今回訪れましたが、場所がわかりませんでした(;_;)門前に「梅田雲浜墓所」の石碑があったので、間違いないと思うのですが…。次回はぜひ見つけたいものです。

 お盆ということもあって、五条坂付近は大変混雑しています。五条坂バス停まで行くには人の波を相当掻き分けていかなければならなかったので、馬町バス停まで歩いてしまいました。京都駅行きのバスは大混雑でしたが、私の乗るバスはそれほどでもありません。泉涌寺道で下車し、戒光寺に行きました。平助の墓前にだけたくさん花があったのが少々気になりましたが、特に2ヶ月前と変わったところはありません。掃除などをしていると、戒光寺墓所にお参りに来た親子が「あら、この人たちって新選組じゃないの?」と言いながら、お線香の残りなどを供え始めました。最初は黙って場所を譲っていましたが、「子孫はいないのかしら?」「子孫はお参りに来ないのかしら?」と疑問をもたれているようだったので、つい横から口をはさんでしまいました(^^;戒光寺に葬られている4人の墓碑の建立者、子供や兄弟の有無など…基本的なことだけしかお話しませんでしたが、納得していただけたようでした。戒光寺墓所でこんな話をすることになったのも、大河効果かもしれません。

 お昼を過ぎたので四条烏丸に移動し、イノダでランチを取りました。今回はB2のお店にしましたが、オリジナルのランチメニューでかなりおいしかったです。京料理もいいですが、お気に入りの店でおいしいコーヒーを飲みながらとるランチもいいものです。

 この日は年に2回、平安神宮神苑が無料公開となる日に当たっていたので、昼食後、平安神宮に行きました。最初はバスを待っていましたが、なかなか来ないので三条京阪まで移動し、地下鉄で東山へ。東山三条から歩いてしまいました。今まではバスでしか行ったことがなかったので距離感がつかめませんでしたが、歩いて10分ほどで美術館付近に到着し、神苑へも15分程度でした。神苑は通常600円なので、予想通りの大混雑。中は植物園になっていて、四季折々違った表情を見せてくれるのですが、そんな風景を楽しめる余裕などありません(^^;人の流れに流されるまま、出口まで到着してしまいました。多少高くても、ちゃんと入場料を払ってゆとりある見学をすべきだった…とちょっと後悔です。

 帰りもバスを待っていましたが、なかなか来ないので徒歩で東山へ(^^;三条京阪で京阪に乗り換え、伏見に移動しました。最初に来たのが準急だったら淀、特急だったら中書島周辺を散策しようと思っていたところ、来たのは特急でした。中書島で下車し、かつては京都と大阪を結ぶ重要な地点だった伏見港公園を散策。堀が復元されているとのことでしたが、広い公園の中を歩いてみてもプールしか発見できませんでした。もう少しちゃんと調べてから出直すことにして、寺田屋に移動。公開時間を少々オーバーしていたので、中の見学はできませんでした。現在も宿として実際に使用されているため、公開時間が短いのはやむをえないですが、残念でした。

 その後は竜馬通りを通り、住宅街を抜けて大黒寺へ。ここには寺田屋の変で戦死した薩摩藩士7人のお墓があります。彼らの墓石は西郷隆盛揮毫と伝えられています。七烈士の墓所の向かいには、美濃治水の責任者で、工事完了後に自刃した家老・平田靭負の墓所があります。大黒寺は古くから薩摩藩の祈祷所であったところから、通称は「薩摩寺」です。それを示すように、大黒寺から歩いて数分のところには伏見薩摩藩邸跡があります。ここは1862年、寺田屋で襲撃を受けた坂本龍馬が匿われた場所ですが、他の2つの藩邸とは違い石碑などはありません。現在は企業の敷地内になっているためだと思いますが、ちょっと残念です。

 そこから10分ほど歩くと丹波橋駅です。中書島から2駅分、歩いてしまいました(^^;丹波橋からは京阪で京橋まで行き、JRでユニバーサルシティ、大阪と地域限定キティを購入するために移動(笑)しかし、あまり収穫はありませんでした(;_;)そして阪急の特急で烏丸に戻りました。



2004/09/20(MON)

 今回の旅の主目的地、輪違屋へは友人2人とともに行く約束をしていました。11時に京都駅で待ち合わせをしたので、その前にとりあえず、戒光寺に行っておくことにしました。ホテル最寄の四条西洞院からバスに乗っていくこともできますが、渋滞で遅れると困るので烏丸から地下鉄で九条へ。大石橋からバスで行きました。お彼岸ということで、日曜祝日はお休みの花屋も営業中でした。前日、平助の所にしかお花がなかったことを思い出し、2束持っていくことにしました。お墓をバックに記念撮影をする先客がいたものの、ちょっと待っていたら静かにお参りできるようになりました。まだ大河ドラマの中では「御陵衛士」という名前は登場していないので、もう少しするとさらににぎやかになるのかも知れません。壬生に比べればまだましですが、早くブームが去ってくれないかな…と思っています(笑)

 京都駅行きのバスが目の前で行ってしまったので、帰りも九条から地下鉄に乗りました。待ち合わせの時間まで少し余裕があったので、京都タワーで少々買い物をしました。東京で発見以来、残すは近藤さんの写真のピンだけとなっている新選組ピンズ第2弾を発見してしまい、小銭がある限り試してしまいました(^^;しかし、出てきたのは山南さん、伊東さん、そして新八。私の好きな人たちばかりですが、今回だけは近藤さんがほしかったです(^^;

 友達と合流し、最初はバスで島原口まで行こうとしましたが…なかなかバスがきません。バスを待つ列も大変長くなっていたので、そんなに遠くないからと説得をし、歩いて島原まで行くことにしました。途中、本光寺七条油小路西本願寺と新選組ゆかりの場所を説明しながら、約20分で島原大門の前に着きました。輪違屋へ入ると、まず奥の広間に通されます。そこで近藤さんの書が書かれた金屏風についての解説を聞きました。この金屏風はめったに展覧会などにも出品されないもので、私も実物を見るのは初めてでした。向かって左側の七言絶句の読み下しと内容の簡単な説明があり、その他に「島原」という街や輪違屋の歴史についても説明を受けました。「島原」という名の由来は、1年で街が出来上がったのでその慌しさが島原の乱のようだった、というところから来ています。この話は以前、角屋でも聞いたことがありました。そして輪違屋は元禄時代から明治の初めまで太夫を派遣する置屋として営業し、明治5年からは飲食もできるお茶屋となって現在にいたります。置屋だった名残として、その広間には「養花楼」という額が掲げられています。「花」=太夫を養う家、ということで、建物や台所も角屋に比べれば小さく、生活の場としての雰囲気を残しています。しかし、狭いながらも各部屋は手入れがしっかりされていて、1階の広間には太夫の手紙が色紙に張られて壁を彩り、2階には紅葉の葉を壁に埋め込んだ「紅葉の間」や柱に松竹梅それぞれの木を使っている「傘の間」があります。傘の間には桂小五郎の書が飾られていましたが、近藤さんの金屏風に比べるとあまり時間をかけて説明されていないのが残念でした。

 見学を終えるとすでにお昼の時間です。島原周辺にはあまりお昼を取れる店がないので、バスで四条烏丸まで移動しました。大丸の裏手にある「こ豆や」に行き、ゆばづくしの昼食を楽しみました。本店は大徳寺近くにあり、地元の友達によると町家を利用した店内は非常にいい雰囲気だそうです。今度はそちらにも行ってみようと思いました。

 中途半端に時間が余ったので、私のリクエストで壬生まで付き合ってもらうことにしました。前川邸でちょっとしたパネル展示があったのでチェックをし、八木邸の入場待ちの列に驚きつつ、目的地のカフェ・ド・武家屋敷へ。前々から行ってみたいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。中は座布団敷きの席とテーブル席があり、座布団敷きの席からはお庭が見えます。しかし、テーブル席の方が落ち着いた雰囲気だったので、こちらを選択しました。和室にカーペットが敷かれ、テーブルといすが置かれた和洋折衷で、とても私好みでした。この辺りを訪れる人のほとんどは八木邸を見学して抹茶をいただくので、わざわざここでお茶をすることもないのでしょう。外の混雑が嘘のように、静かで落ち着いたお店でした。会計後、屋根裏部屋の見学もさせてもらいました。隠し部屋があり、武家屋敷らしいなと思いました。

 壬生寺道からバスに乗り、四条西洞院で降りて友達と別れました。ホテルに荷物を取りに行き、四条烏丸へ。今回は伊丹ではなく関空から帰ります。時間いっぱいまで京都で遊んでもよかったのですが、りんくうプレミアムアウトレットに寄るため、ちょっと早めに京都を出ました。

平安神宮神苑 平安神宮白虎楼 大黒寺 カフェ・ド・武家屋敷
平安神宮大黒寺カフェ・ド・武家屋敷



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