HOME > 諸国漫遊記 > 旅行記(関西) > 京都
テーマ:幕末

京都

2004/12/29(WED)

 2004年の年末も、京都で過ごすことになりました。今回もアルコンがらみですが、29日のツアーファイナルに加え、31日にも大阪城ホールでカウントダウンがあるので、京都2泊+大阪1泊にし、1/1は京都に初詣に来てから帰京することにしました。
 伊丹空港からホテルに直行し、まずはご挨拶に…と戒光寺へ。先月に比べると、少し落ち着いてきているような雰囲気です。もう大河ドラマは終了したので、しばらくすると以前のような静けさに戻ることでしょう。よかったような、でもちょっとさびしいような感じです。
 14時頃には大阪へ向かわなければならないので、あまり余裕がありません。とりあえず、食材を調達に錦市場に行ってみました。行かなければよかった…というくらいの混雑っぷりでしたが、市場ならではの食材をGETできたのがよかったです。そのまま市場を抜けて大丸まで行き、さらに食材をGET。まだ早い時間なのに大変な混雑で、師走だなぁ…という感じがしました。ホテルに戻ってチェックインし、少し休んだ後で大阪に出発。大阪では限定キティをいろいろ探しましたが、思ったより不発で残念でした。大阪城ホールのアルコンに参加後は、京橋から京阪+近鉄で京都へ戻りました。



2004/12/30(THU)

 前日、城ホールで会った友達と半日一緒に観光して、その後は幕末史跡めぐりをすることにしました。朝は京都駅で待ち合わせ…の予定でしたが、私が起きられなかったので、ホテルまで来てもらいました(^^;
 七条堀川からバスに乗り、千本今出川で乗り換えて北野天満宮へ。まだ早い時間だったので、今度こそお昼は「とようけ茶屋」へ…と思ったら、すでに長蛇の列が。いつになったら、ここでお昼を食べられるのでしょうか?(^^;北野天満宮にお参りをし、四条河原町辺りまで出ることにしました。北野天満宮では、鳥居近くにある立方体の石灯篭をチェック。これは将軍後見職だった一橋慶喜に随行して江戸からやってきた火消しの新門辰五郎が寄進したものです。灯篭の台座に消防署の名前が刻まれていたのがちょっと面白かったです。
 四条河原町から祇園までぶらぶら歩きながらお店を探しましたが、行こうと思っていた店が年末休業だったり、閉店時間になっていたりとなかなかうまく行きません。花見小路までさまよって、以前にも行ったことのあるおばんざいの店に入りました。
 食後は安井金比羅宮で縁切りをし、最後に「ニシダや」で漬物を買って友達と別れるはずでした。が、今熊野まで行ってみると、シャッターが下りています(;_;)どうやら、この日から年末休業に入ってしまったようです。ここのしば漬けを絶賛して、わざわざ連れて行ったのに…無駄足を踏ませてしまいました。京都駅に戻り、ポルタで買い物をして、友達を見送りました。
 私はその足で近鉄に乗り、丹波橋乗換えで八幡市へ。石清水八幡宮を見学しに行きました。八幡市駅から男山ケーブルに乗って約5分。ケーブルを降りてから10分ほど歩くと本殿に到着です。初詣の準備が着々とすすめられた境内は、人もまばらです。ここは14代将軍・徳川家茂の代理で一橋慶喜が攘夷の戦勝祈願に訪れるはずだった神社です。「はずだった」というのは、慶喜はここまで来たものの、急病を理由に神社までは足を踏み入れなかったのです。孝明天皇はここ以外の神社にも攘夷の祈願をするなど、立場を明確にしていますが慶喜は幕府の立場をわざと曖昧にしておいたものと思われます。戊辰戦争でも立場を曖昧にしておいた結果、かえって火に油を注いでしまったのですが…これは慶喜の性格所以かもしれません。
 ケーブル乗り場への帰り道、展望台に立ち寄りました。この辺りは桂川、宇治川、木津川が合流する地点なので、なかなかの眺望です。遠く比叡山まで見ることが出来ました。ケーブルで八幡市駅に戻り、次の橋本へ。ここにも幕末史跡があります。橋本駅から歩いて10分ほどのところにある久修園院は、東軍の宿舎として使われたお寺です。そこから畦道を10分ほど歩くと橋本砲台跡の石碑がありました。橋本砲台は会津や新選組が守っていた砲台でしたが、京阪の線路と淀川をはさんで向かい側、阪急水無瀬駅の近くにあった高浜砲台を守っていた津藩の寝返りによって、大打撃を受けた場所です。新選組の山崎丞はここで重傷を負ったと伝えられています。それほどの激戦地であったにも関わらず、この石碑以外、戦跡であることを思わせるものが何もないのが不思議です。
 橋本駅まで戻り、東福寺駅へ。先ほどは今熊野までしか行かなかったので、今度はちゃんと戒光寺まで行きました(笑)ホテルに戻り、この日は同泊の友人と合流した後は四条河原町へ。地元の友人と待ち合わせをし、「茜屋純心軒」に行きました。

男山八幡宮 久修園院 橋本砲台跡
男山八幡宮久修園院橋本砲台跡




2004/12/31(FRI)

 この日は同泊の友達が一日中付き合ってくれるというので、「幕末散策ベーシックコース」を歩くことにしました。しかし、朝から雪が降っていてあまりコンディションはよくありません。この日は深夜のカウントダウンも控えているので、あまり無理はしないようにしました。
 ホテルをチェックアウトし、バスで四条大宮へ。光縁寺の前を通り、この日は閉まっていた前川邸の説明などをしつつ、八木邸へ。大晦日、しかも雪にも関わらず、入場を待つ長い列ができています(^^;30分待ちといわれてしまったので、今回は見学しないことにしました。そのまま、壬生寺にご案内し、壬生塚を見学。こちらはさすがに屋外のためか、誰もいませんでした。隣の八木邸の喧騒が嘘のような静けさで、有料化される前と似たような感じでした。
 お昼になったので、祇園方面に移動しました。その間、別の友達から連絡が入ったので昼食で合流することに。いくつかお店の候補を考えていたものの、大晦日ということもあって多くの店が閉まっています。最終的には都路里で茶そば+パフェという不健康な昼食になってしまいました(^^;しかし、祇園の本店に入ったのは初めてだったので、それはそれでよかったです。
 合流した友達とは大阪で再合流することにして別れ、安井金比羅宮へ。そのまま霊山にも行く予定でしたが、あまりにも寒かったので断念。月真院を見学し、明保野亭付近では明保野亭事件の説明などをしつつ、イノダ清水店に行きました。年末年始の各支店営業状況をチェックすると、お気に入りの烏丸B2店は元日のみ休みのようだったので、翌日はポルタか清水に行くことがその場で決定しました(^^;
 ほどよく休んだので、五条坂を下ってバスに乗り、戒光寺へ。今年は京都に来るたびに墓参をしていたので、20回以上はここを訪れていることになります。大河の影響でいろいろなことがありましたが、年末には少し穏やかになっていてくれてよかったです。翌日にも墓参をすることを約束して、帰りました。
 そろそろ大阪へ移動する時間ですが、最後に七条油小路に寄りました。油小路事件の話や本光寺さんのお話などをしてホテルへ。JRで大阪に向かいました。ホテルにチェックインし、パンフレットなどを購入しに大阪城ホールに向ったものの…並んでいる途中からちょっと体調が悪くなり、開演した頃には最悪な状態になっていました(^^;前回の教訓は生かせなかったようです…。最後までほとんど座りっぱなしで見ることになってしまったのは非常に残念でした。終演後は1人でホテルに戻り、すぐに休みました。



2005/01/01(SAT)

 早めにホテルに戻ったのがよかったのか、かなり体調が回復しました。帰りの飛行機はいつもより2つ早い便なので、あまり時間はありませんが京都に戻ることにしました。ホテルから梅田に移動し、荷物を置いてJRで京都駅へ。奈良線に乗り換えて東福寺駅まで行きました。JRの東福寺駅に降り立つのは初めてです(^^;京阪の駅と壁をはさんですぐ隣にホームがあることも、初めて知りました(笑)そこから歩いて戒光寺へ行きました。
 前回のカウントダウンの際、正月に東大路の大渋滞に巻き込まれて大変な目にあったことを思い出したので、東福寺まで戻り、京阪で四条へ。2005年の初詣はぜひここに、と思っていた安井金比羅宮まで歩いて行きました。五条坂付近の混雑がどれほどのものかは確認しませんでしたが、四条通は意外とスムーズに流れていました。ただし、八坂神社から四条河原町方面へ向かう人々はかなり多かったです。その流れに逆行するように東山安井まで行きました。
 初詣を終え、四条河原町まで戻りました。阪急で大宮まで行き、次は壬生寺へ。ここを年の初めに訪れるのも、もう定番になりつつあります。驚くことに、八木邸が公開されていました(*o*)年中無休営業とは…。数年前は、期間限定特別公開だったはずなのですが(笑)今回、壬生を訪れた目的は八木邸の様子伺いではなく、元日だけ門が開く新徳寺の見学です。中を拝観できるのかと思っていましたが、単に門が開いていただけでした。前川邸が公開されたのだから新徳寺も…と期待していましたが、中はやはり非公開のようです。
 四条大宮から京都駅方面のバスに乗り、七条堀川で下車。前日と同じく七条油小路を通り、ポルタのイノダへ。ちょっと遅い昼食を取りました。とりあえず、行きたい所は網羅できたのでJRで大阪へ。梅田でちょっと買い物をし、空港に向かいました。3泊4日と時間の余裕はあったはずですが、あまり自由に使える時間がなかったのが少々残念でした。

雪の壬生塚 新徳寺 不動堂
雪の壬生塚新徳寺不動堂



(C) MOTOKO