亀山
2003/12/14(SUN)
今年の名古屋アルコンはセンチュリーホール2Daysのため、日曜日の終演後は最終ののぞみで東京に戻るつもりでしたが…友達が取ってくれた席が1階13列とかなりよかったので、終電を気にせずを楽しむためにこの日も泊まることにしました(笑)
1日予定が空いてしまったので、最近行っていなかった亀山に行くことにしました。前回は西征日記を読んだことのない状態で、単に心形刀流が現在も伝えられている街、という認識でしたが、今回は伊庭八郎が弟の急病のために10日ほど「柏屋」という飯屋に滞在し、亀山藩士相手に稽古をつけたり、鮎釣りをしたりといった話が残っている、八郎ゆかりの街として訪れました。
名古屋から関西本線に1時間ちょっと乗り、12時過ぎに亀山に到着。前回は梅雨で大雨でしたが、今回は非常によい天気です。まずは亀山城跡に行きました。。その途中、東海道亀山宿と書かれた真新しい石碑を発見。東海道整備400周年の今年、新しく建てられたものでした。その石碑の先にある旧東海道は後で散策することにし、亀山城跡へ。亀山城は天守閣が始めからなく、その代わりの櫓も現在はこの多門櫓一つを残すのみです。内部は公開していなかったので、櫓の横から亀山の街を一望して来ました。
次は亀山演武場へ。内部には、八郎が奉納したと伝わる小刀があるそうですが、こちらも開いていなかったので見学できませんでした。西征日記によると、八郎は亀山滞在中に6回、稽古に出席したそうです。しかもこの演武場は、江戸の伊庭道場を参考に建設されたものということで、いつかは内部も見学させてもらえたら…と思いつつ、次の目的地に向かいました。
次の目的地は亀山市立歴史博物館。亀山の歴史がコンパクトにまとめられた博物館でした。東海道の宿場町として栄えたこともあり、東海道に関する資料が多かったです。当時、亀山宿で営業していた旅籠の一覧があったので八郎が滞在していた「柏屋」を探しましたが、そのときは見つけられませんでした。ここで初めて知ったのは、心形刀流が亀山藩の流派となったのは1865年、八郎が亀山に滞在した翌年だったこと。また、西征日記に亀山藩での世話役として登場する「山崎氏」が、亀山に心形刀流を広めた人であることです。この山崎氏こと山崎雪柳軒は八郎の実父、8代目伊庭軍兵衛の門人で、師範として指導を行っていましたが、江戸詰を解かれた1864年、亀山へ帰参していました。八郎や八郎の養父、9代目軍平ともよく見知った仲であったので、亀山での滞在をしっかりサポートしてくれたのでしょう。ちゃんと調べていかなかったので、この歴史博物館に行っておいてよかったです(^^;
まだ時間があるので、旧東海道を歩いてみることにしました。前回訪れた時も気がつきましたが、一般の住宅にもかつての旅籠などの名前が書かれた木札がかかっていて、当時の街並みをイメージすることができます。「西新町」と呼ばれたエリアを歩いていると、「かしわや跡」と書かれた木札を発見。演武場からも近く、もしかしたら…と思い、写真におさめてきました。最初に見つけた「東海道亀山宿」の碑のところまで出たので、そのまま駅へ。電車の出発時間まではまだ10分以上余裕がありましたが、2両編成だったのですでにほぼ満員状態。早めに着いていてよかったです(^^;
(C) MOTOKO