延岡
2002/12/13(FRI)
1999年の卒業旅行Part2以来、3年9ヶ月ぶりに宮崎空港に降り立ちました。前回は鹿児島へ移動したため、宮崎県内の観光は全く出来ませんでした。今回は逆に、大分方面へ移動することにし、西南戦争の史跡を訪ねるため延岡で時間を取ることにしました。
宮崎空港はJRの駅に直結していて、延岡方面への直通特急列車があります。しかし、飛行機と特急の乗り継ぎ時間は20分ほどしかありません。少しでも飛行機の到着が遅れたらアウトかな…と、1本後の特急に乗った場合のプランニングも立てていましたが、無事に予定の特急に乗り継ぐことができました。延岡に到着したのは10時半すぎ。延岡市内と、それに隣接する北川町にいくつか史跡が点在していますが、車でないと行けないところばかりなので、バスでも行けそうな和田越戦跡と西郷記念館に行くことにしました。
バスの時刻は事前に調べていましたが、和田越戦跡周辺の詳しい地図は見つからなかったので、バスの営業所で詳細を尋ねてみました。しかし、歩いて5〜10分ほどではないか、との曖昧な回答。続いて観光協会でも尋ねてみたところ、住宅街の中にあるので、和田越バス停近くの交番で詳しいことを聞いた方がよいとの回答…。非常に不安を覚えつつも、30分ほど待って和田越方面に向かうバスに乗りました。バスを降り、交番で道を尋ねてみると、山の上にあるので15分以上はかかるとのこと…。しかも、観光協会で教えられた方向とは全く逆です。これはもうダメだ、とあきらめ、西郷記念館方面へのバスを待ちました。2時間に1本ほどしかないバスなので、乗り遅れると大変なことになってしまいます。国道を10分ほど走り、俵野というバス停で下車しました。
こちらにはちゃんと案内板があったので、3分ほどで無事にたどり着くことができました。敷地内には西南戦争当時、西郷隆盛らが2日間滞在した陣屋(旧児玉家住宅)と、写真パネルなどを展示した資料館の二棟があります。私以外には見学者がいなかったので、ゆっくり陣屋を見学し、資料館に無造作に置かれていた「西郷南洲資料」という本に見入っていました。この本は西郷の孫、吉之助氏によって出版された非売品の冊子で、主に西郷の遺墨の写真とその解説で構成されているものです。小松帯刀や大久保利通らから西郷に宛てられた手紙や、西郷が中村半次郎や別府晋介らに宛てた手紙など、筆跡も内容も興味深いものが多く、夢中になってページをめくっていると、館長さんが声をかけてきました。雑談をしつつ、先ほど和田越のバス停で降りてみたものの、戦跡まではたどり着けなかったこと。13時半の特急で大分まで行かなければならないことを話すと、たまたま館長さんも延岡市外へ行く用事があるので、ついでに車で和田越まで連れて行ってくれるとのこと。急いで見学していなかった所を見て、北川町が発行している西南戦争の史跡ガイドを購入して車に乗せてもらいました。朝イチで東京から来たことを話すと、受付にいた館長さんの奥さんが栄養ドリンクをくれました(笑)
戦跡へ向かう途中、西郷軍が越えたという可愛岳や、延岡方面から舟で下ってきたという北川についていろいろと説明してもらいました。東京からわざわざ一人でここを訪ねてくる人は非常に珍しい、と感心されてしまいました(^^;記念館から10分ほどで石碑の立つ和田越戦跡に到着しました。西郷軍と官軍の位置関係や、実際に西郷が指揮を取っていた地は石碑の場所より少し下ったところにあることなどを教えてもらいました。また、ここに立つ石碑は10年程前に初めてできたものだそうです。
帰りは途中のバス停で降ろしてもらえれば、駅まではバスで行くと申し出たのですが…バスが遅れて特急に乗れなかったら困るからと駅まで送っていただきました(;_;)「今度、延岡に来た時は連絡して」とまで言っていただけて、非常にうれしかったです。西郷記念館は大分へ向かうJR日豊線の線路沿いにあるので、もしかしたら…と特急から窓の外を眺めていると、館長さんが見送ってくれていました。いつになるかはわかりませんが、絶対にまたここを訪れようと心に決めました。
大分に到着したのは15時半過ぎ。府内城跡や遊歩公園などを散策したあと、ちょっと足を伸ばして別府まで行きました。とは言っても、観光するには時間が遅すぎたので、別府観光港にある地場産センターや駅前の商店街で買い物をしただけでした(^^;しかし大分限定のキティを大量にGETできたので、それはそれで満足でした(笑)
翌日は大分から博多まで特急で移動し、名古屋へ。名古屋でのALFEEライブに参加してきました。その翌日は名古屋から18きっぷを使って東京まで各駅停車の旅でした(^^;
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