五條
2003/12/29(MON)
この日は京都を離れ、大和五條に行きました。ここは1863年、孝明天皇の大和行幸の安全のため、尊皇攘夷派の土佐脱藩浪士たちが中心となり、幕府の天領であった五條に先回りして代官所を襲撃。自らを天誅組と名乗り、その本陣が置かれた場所です。「8月18日の政変」が起こり大和行幸は中止。尊王攘夷派の公家は一掃され、長州藩も京から追放されてしまいます。そのため、天誅組は一転して朝敵となってしまいました。天誅組と幕府の命を受けた討伐軍との戦は十津川方面で行われたため、五條に残る史跡は代官所の門や本陣跡のみです。しかし、今年2003年は天誅組の義挙から140年にあたる節目の年なので、町を挙げてのイベントが行われたようです。そのイベントには行けませんでしたが、2003年のうちに行っておきたいと思い、京都を出発しました。
JRで奈良まで行き、桜井、高田と経由して五条へ。町の名前は「五條」ですが、駅名は「五条」です。京都から2時間ちょっとかかっての到着です。まずは駅から歩いて10分ほどのところにある櫻井寺へ。どことなく懐かしい雰囲気の商店街を抜け、国道24号線に向かって歩いていくとすぐに見つかりました。入口のすぐ脇に天誅組本陣跡と刻まれた大きな石碑が建っています。五條代官所襲撃後、天誅組はこの寺に本陣を置き、幕府の天領であったこの地を朝廷直轄とすることを宣言しました。しかし、本陣を置いたその日に京都では「8月18日の政変」が起こります。ここに天誅組のメンバーが滞在したのはわずかな期間でしたが、境内には殺害した代官・鈴木源内らの首を洗ったという手水鉢や天誅組義挙殉國諸霊供養塔があります。
国道24号線を渡ってすぐのところには新町通りと呼ばれる、昔ながらの町並みが残ったエリアがあります。その入口近くにある栗山家住宅は棟札に慶長12年(1607)の銘があり、建築年代が明らかな日本最古の民家で、重要文化財にも指定されています。現在も住居として使われているため一般公開はしていませんが、とても400年近く経っているとは思えないほどしっかりとした建物でした。この他にも、新町通りには古い民家が軒を連ね、それらのほとんどが現在も住居として使われいることが驚きでした。まるでこのエリアだけ、時間が止まってしまっているようです。
新町通りを抜け、再び国道24号線を越えると史跡公園があります。ここは天誅組の義挙後、再建された代官所が置かれた場所で、代官所の門がそのまま残されています。この門の詰所を利用した小さな資料館があるのですが、月曜休館のため見学することは出来ませんでした。この資料館発行の本があったようなので、それを買えなかったことは非常に残念です。この公園は天誅組140周年に合わせて整備されたようで、私の持っていったパンフレットにはこの資料館が載っていませんでした。もう少し、最新情報を仕入れてから行くべきでした(^^;
国道24号線沿いを歩いていくと、櫻井寺の前に戻ってきました。写真を撮りそこねていた栗山家住宅を撮影し、五条駅へ。奈良県だからか、商店街の八百屋やスーパーの軒先には、どこも干し柿がつるされていたのが印象的です。1時間ほどの短い散策でしたが、見所はだいたいおさえてきました。次回はバスを使い、十津川方面へも行ってみたいです。また、後で気が付いたことですが…五條へは難波や天王寺から、和歌山経由で入った方が近かったです(^^;奈良県なので、奈良経由の方が便利だと思い込んでいたのは失敗でした(笑)
(C) MOTOKO