小千谷
2004/07/11(SUN)
前日から「クラウディア」新潟公演観劇のため、新潟に宿泊していました。前日は仙台で「宮沢賢治展inセンダード」を見学してから新潟に向かったので、開演前もほとんど時間がありませんでした。しかしこの日は17時の開演時間まで自由な時間がたっぷりあります。前々から行きたいと思っていた小千谷に、今回は行ってみることにしました。
小千谷は慶応4年、長岡藩家老の河井継之助と新政府軍軍艦の岩村精一郎が会談の場を持ったものの、交渉は決裂し、北越戦争が開戦した地です。この2人の会談は「小千谷会談」と呼ばれ、その舞台となった慈眼寺には会見の間が当時のまま保存されています。ただし、この慈眼寺は観光向けの寺院ではないので、見学には事前予約が必要とのことでした。日曜の午前中に訪問するとの連絡を事前に入れておいたので、準備は万端です。
新潟から新幹線で長岡まで行き、長岡からは上越線で小千谷へ。そこからは徒歩か路線バスで慈眼寺に向かう予定でした。しかし、乗る予定の新幹線に乗り遅れてしまいました(;_;)次の新幹線は30分後。しかし、長岡〜小千谷の普通電車は非常に少なく、30分後の新幹線に乗ると長岡で2時間近く待つことになってしまいます。これは午前中には訪問できないかも…と途方にくれましたが、とにかく長岡まで行ってみて、次の一手は着いてから考えることにしました。長岡駅構内にある観光協会に立ち寄り、慈眼寺へのアクセス方法を尋ねてみると、路線バスが近くを通るとのこと。しかもそのバスは10分以内に発車するとのことだったので急いで」バスターミナルに向かいました。そのバスは十日町行きの急行バス。長岡から30分ほどで小千谷の街に入りました。小千谷駅は市街地から1Kmほど離れているので、かえってJRで行くより楽でした。「小千谷本町」でバスを降り、5分ほど歩くと慈眼寺に到着です。見学者入口を見つけ、予約をしている旨を告げて中に入りました。保育園と共有している通路を通り、ご本尊が安置されている広間を通り抜けると、河井・岩村会見の間があります。天井に近い壁には河井・岩村それぞれの肖像画が飾られ、座布団や机は当時そのままの状態で置かれています。また、壁には北越戦争の進路図の掛け軸や書画、屏風などもありました。部屋の外には解説テープの操作機があり、一つは慈眼寺の住職さんがこの部屋の由来や河井・岩村を紹介しているもの。もう一つは河井と岩村の声を写真から再現し、2人の会談の様子を再現したものです。河井の声は低く落ち着いていて、若い岩村の元気な声とは対照的でした。会談の内容は、非戦を訴える河井に対して岩村は聞く耳を持たず、数分で決裂してしまうというものでした。本当に、ここまで一方的な会談だったのだろうか?と疑問が残ります。この他、北越戦争に関する資料がガラスケース内に100点ほど展示されていました。境内には小千谷会談の石碑もありました。
慈眼寺を出ると、外はかなり雨が強くなっています。小千谷から長丘に戻る途中、バスは朝日山古戦場や榎峠古戦場など、北越戦争の古戦場の近くを通りますが、これらを見学するのは無理そうだったので今回はおとなしく長岡まで戻りました。
長岡では名物の「へぎそば」を食べ、新幹線の時間まで駅周辺を散策。河井継之助邸跡と、河井の菩提寺である栄涼寺に行きました。お寺は新幹線の高架のすぐそばにあり、長岡駅から歩いて20分くらいです。河井家の墓所は一番奥にあり、「河井家の墓は此処 忠良院殿が継之助様であります」と刻まれた大きな石柱があり、誰が建てたんだろうと不思議に思いました(^^;栄涼寺には長岡藩主牧野家墓所、河井が小千谷会談に唯一同行させた長岡藩士・二見虎三郎の墓所もあります。
長岡駅に戻り、新幹線で新潟へ。「クラウディア」千秋楽を観て、最終の新幹線で東京に戻りました。
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| 河井・岩村会見の間 | 慈眼寺 | 河井継之助邸跡(長岡市) | 河井継之助墓所(長岡市) |
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