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テーマ:幕末

高田


2004/04/10(SAT)

 この週末はALFEEの新潟・長野ライブに参加しました(笑)数年前にも同じ日程のライブに参加したことがあり、その時は越後湯沢と軽井沢へ行きました。今回はちょっと行き先を変え、新潟ライブの前に高田に行きました。高田は戊辰戦争の戦場でもあり、降伏した会津藩士を収容した場所でもあります。しかし、当初の予定では高田ではなく、小千谷・長岡の戊辰戦争戦跡を見学するつもりでプランを組んでいました。しかし、東京駅で開催されていた上越市の観光フェアでパンフレットを手に入れ、それを見ているうちに高田に行きたくなってしまったのです(笑)ちょうどこの時期は観桜会が催されているということで、臨時列車も出るようです。小千谷や長岡は、高田に比べれば比較的アクセスしやすいので、今回はパスしました。

 東京から新幹線で越後湯沢まで行き、特急に乗り継いで直江津へ。直江津からは普通電車に10分ほど乗ると高田に到着です。駅前から観桜会場である高田公園行きの臨時バスも出ていたので、駅前は大混雑です。桜は後の楽しみに取っておくことにして、まずは寺町を散策しました。その名のとおり、高田駅の裏手には多くの寺院があります。小さなお寺が大多数ですが、駅から15分ほど歩いたところにある東本願寺高田別院は非常に大きな敷地内にありました。幕末当時もこのお寺が高田で最も大きかったということで、会津藩高田謹慎組の多くはこの寺に収容されていたそうです。現在も謹慎者の名簿が残っていますが、その中に「斎藤一事 一瀬傳八」という名を見ることが出来ます。新選組副長助勤斎藤一、その人です。戊辰戦争時には「山口次郎」を名乗っていましたが、なぜかこの名簿には前の名前である「斎藤一」が記載されています。おそらく、一さんの過去をよく知る人物が覚書のつもりで記載をしたのでしょう。会津藩が降伏をしたのが明治元(1868)年の9月。その後、会津藩士たちは東京へ送られる者と会津塩川に謹慎する者とに別れ、一さんは塩川謹慎組でした。その後、塩川謹慎組は高田藩お預かりとなり、明治2年の1月に高田に入りました。明治3年4月に青森県に斗南藩を作り、そちらへ移るまでの1年3ヶ月をこの地で過ごしています。その間、一さんの宿舎は東本願寺だけでなく、歩いて10分ほどのところにある惣持寺に移った時期もあったようで、惣持寺の謹慎者名簿にも「一瀬傳八」の名前があります。この東本願寺は本堂がインド風の建物になっていて、幕末〜明治の面影は全くありません。また、惣持寺は昔の建物が残っているようでしたが、敷地内は立ち入り禁止になっていたため見学は出来ませんでした。

 この他にも、会津藩ゆかりの寺がいくつかありますが、とりあえず一さんゆかりの寺を網羅できたことに満足したので、高田城址の高田公園へ向かうことにしました。その途中、旧師団長官舎を見学。明治末期建築の洋館で、平成三年までは自衛隊の宿舎として使われていたそうです。後に移設され、内部が建築当時のものに復元されました。1階は応接室や食堂など、洋風の部屋ですが2階は畳敷きの和室と和洋折衷です。中はとてもよく手入れされていました。

 さらに20分ほど歩くと、高田公園の入口に到着です。外堀にかかる橋からは妙高山をバックに、桜が満開の遊歩道が見えました。露店などでにぎわう公園を散策し、内堀にかかる橋を渡ると三重櫓が姿をあらわします。高田城は天守閣を持たなかったため、この櫓が城のシンボルだったそうです。10年程前に復元されたもので、中には展示があるそうですが、かなり混雑していたので見学はしませんでした。「極楽橋」という橋を渡り、公園の駐車場の方から桜に囲まれた櫓を楽しんだ後は、高田駅へ。もうあまり時間がなかったので、かなりがんばって歩きました(笑)公園から高田駅までは20分ほどです。無事に予定していた電車に乗れたので、直江津・越後湯沢経由で新潟に向かいました。湯沢では乗換え時間が30分ほどあったので、ぽんしゅ館で利き酒をしてきました(笑)「越後さむらい」というアルコール分46%の酒はかなり強烈でした(^^;新潟ではホテルでちょっと休んだ後、県民会館のライブに参加。日帰りする人が多かったようで、駅へ向かう臨時バスはプチ修羅場になっていました(^^;

東本願寺高田別院 旧師団長官舎 高田公園 高田城三重櫓
東本願寺高田別院旧師団長官舎高田公園 高田城三重櫓


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