大阪
2003/05/25(SUN)
前日にひき続き、この日も「オケピ!」を観劇です。伊丹発の最終便で東京に戻るので、開演前と終演後に多少時間があります。そこで、同行の友人に了承を得て、中之島を散策することにしました。京都へはかなりの回数行っているものの、大阪で行くところといえば梅田のHEPナビオやユニバーサルシティウォーク、もしくは大阪城ホールと非常に限定されています(笑)中之島はかなり前に散策した事がありますが、初めて行った所もいくつかありました。
まずはホテル周辺の散策から。今回泊まったホテルのある高麗橋は、京阪の淀屋橋と北浜のちょうど中間付近で、高層ビルと昔ながらの建物が混在している地域です。斜め前にある赤レンガの建物、シェ・ワダは明治45年の建築で、旧大中証券のビルとして使われてきました。現在はフレンチレストランとして営業されています。すぐ隣にある日本基督教団浪花教会、斜め向かい側にある八木通商の建物は昭和初期の建築。かつては旧大阪農工銀行として使われていました。これらはコンクリート製のようです。このような洋館が点在する一方、適塾のような江戸時代の建物もそのままに保存されています。適塾は何度も見学しようと思いつつ挫折しているので、今度こそ…と思っていましたが、翌週から特別展示があるようだったので、今回も見送ることにしました(^^;
適塾の前にかかる栴檀大橋を渡ると、中之島公会堂です。前回は改装工事中のためシートがかけられていましたが、現在は美しい姿を見せています。その向かい側にあるのは中之島図書館。ギリシャ風の建築で、かなりのインパクトがあります。隣の大阪市役所の階段から撮影をしていると、図書館をスケッチしていたおじさんにBESTな撮影ポイントを教えてもらいました。図書館に向かって左斜め下から撮影すると、ドーム型の屋根が写るそうです。そのように撮影すると、確かに正面から見たのとはちょっと違う雰囲気でした。
続いて向かったのは御堂筋沿いの日本銀行。交通量が多いため、道路の向かい側から撮影するタイミングを計るのに苦労しました(^^;大江橋を渡り、北新地へ。この辺りには、幕末関連の史跡もあります。まず最初に探したのは1863年、大阪へ出張していた新選組と力士の乱闘事件のあった蜆橋です。石碑があるそうですが、残念ながら発見することはできませんでした(;_;)気を取り直し、肥後橋方面へと進むと、堂島米市場跡の石碑を発見しました。ここは伊庭八郎の「西征日記」にも登場するスポット。昔からこのあたりが経済の中心地であったことを物語っています。
そうこうしているうちに、フェスティバルホールに到着しました。しかし、開演まで1時間あるので、友人にわがままを言って梅田のHEPナビオまで同行してもらいました(^^;新作の地域限定キティを大量買いし、再びフェスへ。この日の「オケピ!」も、非常に面白かったです♪終演後は地元の友人と淀屋橋で待ち合わせし、心斎橋のたこ焼屋まで案内してもらいました(笑)そして心斎橋では、また地域限定キティを買ってしまいました(^^;商店街を抜け、道頓堀を少し散策して難波へ。難波から淀屋橋まで戻り、ホテルに寄ってから大阪空港へと向かいました。非常に短時間ながらも、レトロな建物を満喫できた旅でした♪
2003/05/30(FRI)
前回の観劇から1週間も経っていませんが、再び大阪を訪れました(笑)今回はマチネを観るので、7時台の飛行機に乗って関空へ。関空からは南海に乗り、堺で下車しました。堺には幕末史跡がいくつかあり、一度ゆっくりと見学してみたいと思っていました。当初の予定では2〜3時間散策できるはずが、諸般の事情で1時間程度しか余裕がなくなってしまいました。なので、かなり狭い範囲に絞った散策となりました(^^;
まずは堺駅の裏手にある旧堺灯台へ。旧堺港の突端にある白い木造の灯台で、建てられたのは明治10年。現存する国内最古の灯台です。現在は灯台としての役目を終えていますが、きちんと手入れされた状態で残されています。内部の見学ができないのが惜しいところです。灯台付近からは対岸に淡路島を眺めることもできました。
堺駅からここまで来るのに約20分、かかってしまいました(^^;すでに時間の余裕がなくなっているので、来た道を戻って堺駅方面へ。駅のすぐ近くを流れる川沿いに、天誅組上陸記念碑と堺事件記念碑があります。前者は1863年、孝明天皇の大和行幸を計画した中山忠光、吉村寅太郎が京都伏見からこの地へ上陸したことを示すものです。堺からは陸路で大和五條に向かい、倒幕の先鋒として大和奉行所を落としますが、わずか1日後に八月十八日の政変が起こりました。これによって尊攘派の公家は失脚、天誅組は孤立無援となり、幕軍によって制圧されました。吉村は戦死、中山は長州に逃れたものの、後に暗殺されました。彼らはあまりにも時代を先取りしすぎてしまったのでしょう。この大和の変を皮切りに、生野の変、そして禁門の変と尊攘派の志士たちの反乱が相次ぎますが、まだ時勢は幕府方にありました。そして堺事件はというと…慶応四年、鳥羽伏見の戦い後に無秩序となっていた大阪の治安を守るため、朝命によって警護に当たっていた土佐藩は堺浦から無断で上陸しようとしたフランス人水兵を追い返そうとしました。しかし発砲されたため応戦。これによってフランス人11人が死亡しました。フランスとの外交問題に発展しかねないと、土佐藩は銃撃に荷担した20人に切腹を申し渡し、フランス人公使立会いのもと妙国寺で切腹が執り行われました。ところがフランス人公使は12人目が切腹しようとしたところで中止を申し出、9人は国許へ戻されました。切腹した11人は「御残念様」、助かった9人は「生運様」と崇められ、参詣に訪れる人が跡を絶たなかったそうです。本当は、この妙国寺に行く予定でしたが、これは次回にまわすこととしました。
堺駅に戻り、弁天町のホテルに寄ってから淀屋橋へ。一緒に観る友人と会場近くで待ち合わせをしていましたが、まだ少し時間の余裕があるので適塾へ行ってみました。やっと、念願叶っての見学です(笑)建物は中庭を囲むコの字型で、一番奥にも庭があります。勉強室として使われていた部屋には緒方洪庵や福沢諭吉、大鳥圭介らの書が展示されていました。2階も見学できますが、入り口となっている階段箪笥があまりにも急だったため、あきらめて帰ろうとすると…少し傾斜のゆるい、2階の出口階段から上がってもいいと言われたので、チャレンジしてみました(笑)2階には刀傷が無数にある柱や、授業で使われていたテキスト、主な塾生の紹介パネルが展示されていました。1階もそうでしたが、2階はかなり天井が低く、かなりの長身だったと言われている福沢諭吉には相当居づらい空間だったのではないかと思われます(^^;
無事にすべての見学を終え、適塾を後にしました。そして肥後橋へと急ぎ、待ち合わせ場所へ。昼食後、「オケピ!」千秋楽を堪能してきました。3月の初めから約3ヶ月、長かったようであっという間でした。終演後は会場前で日帰りする人々と談笑し、いったんホテルに戻って宴会場所へ。飛田新地の「鯛よし百番」というお店で、元遊郭だったという建物は絢爛豪華でした。ただし、周辺環境がかなりすごいので、大人数でなければ行けないような気がしました(^^;翌日は1週間ぶりに(笑)京都へ行きました。
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| 旧堺灯台(堺市) | 天誅組・堺事件碑(堺市) | 適塾 | 鯛よし百番 |
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