比叡山
2003/03/23(SUN)
私が京都へよく行くようになったのは1998年頃。大学4年生の時でした。それ以前には2回、京都を訪れたことがありましたが、あまりいい印象を持っていませんでした。その原因の一つが、中学の修学旅行。私の出身中学は仏教系なので、修学旅行の奈良・京都では社寺仏閣の見学がメイン。春日大社に大仏、宇治の平等院…極めつけは最終日の比叡山説教ツアー(笑)板張りの床に1時間正座させられたのは、私の中で京都の評価を地に落とした出来事でした。以来、何度京都へ行っていても比叡山に行きたいと思ったことは一度もありませんでした。ところが、伊庭八郎の「征西日記」を読んで、久しぶりに行ってみようかな…と思い始めました。今回は正座させられることもないので、実に12年ぶりに比叡山を訪れることにしました。
「征西日記」によると、八郎は「八瀬の上り口より」登り、「道を喪ひ」ながらも「黒谷」に出て、「中堂講堂山堂を見物」したそうです。私も同様に、八瀬から登ることにしました。出町柳から叡山電車に乗り、終点の八瀬比叡山口で下車。去年までは「八瀬遊園」という駅名でしたが、遊園地が閉園になったので駅名も変更されました。駅から5分ほど歩いたところにあるケーブルカーで比叡山中腹まで登り、そこからはロープウェイで山頂まで。山頂からは琵琶湖や京都の街を一望できました。ちょっとガスがかかっていたのが残念です。
山頂からはシャトルバスで東塔(とうどう)へ移動しました。ここが比叡山延暦寺のメインエリア。まずは大講堂に参拝です。どこで正座させられたのかの記憶が定かではありませんが、足ががくがくになっているところで広く長い階段を下り、転びそうになったことだけは覚えています。大講堂の前にも階段はありますが、細いものだったのでここではないようです。
その細い階段を下り、さらにゆるい坂を下ったところにあるのが根本中堂。東塔エリアの中心となる仏像(薬師如来)を安置し、根本中堂創建以来、絶えず油が注がれて絶やすことのなかった「不滅の法灯」があります。内部は撮影禁止で、厳かな雰囲気があります。学年全体160人が正座するには十分な広さですが、もう少し明るい場所だったような気がしました。また根本中堂前には、賢治さんの「根本中堂」の詩碑がありました。熱心な仏教徒だった賢治さんは、父と一緒にこの地を訪れました。この詩碑があることはしらなかったので、ちょっとびっくりしました。
東塔エリアのメインの建物は見たので、今度は西塔(さいとう)エリアへ移動しようとシャトルバスのバス停に行ったものの、その時間帯は1時間1本しかありません。まだ東塔エリアで見残していた所があったので、バスの時間までそれらを見に行くことにしました。大講堂を右手に坂を登り、長い階段を上がったところにあるのが阿弥陀堂です。なんだかこの風景、見覚えがあります(笑)阿弥陀堂を背後に、階段を見てみると…まさにあの時、必死の思いで下った階段でした。思っていたより小さなお堂で、ここだったかな?と疑ってしまいましたが…中はけっこう広く、どうやらここで間違いないようです。この日もどこかの団体さんがお説教を聴いていました。
シャトルバスに乗り、西塔へ。まず目に飛び込んでくるのはにない堂と呼ばれる建物です。これは常行堂と法華堂という2つの建物をつなぐ廊下を、武蔵坊弁慶が担いで移動させた、という伝説によるものです。それはあり得ないとしても、比叡山には弁慶に関する伝説は多く残されています。にない堂の奥には、西塔エリアの中心である釈迦堂があります。比叡山にはさらにこの奥に横川(よかわ)というエリアがありますが、今回はそちらへは行きませんでした。
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| 阿弥陀堂 | にない堂 |
バスで東塔エリアに戻り、坂本ケーブルで下山しました。そしてケーブルの駅から歩いてすぐのところにある日吉大社へ。これらは八郎の取ったルートと同じです(笑)たまたま八郎がここを訪れた時は「山王祭り」という大祭が行われていて、「甲冑澤山有之御輿美也」と書き残しています。境内にはその「御輿」が展示されていて、きらびやかな装飾は確かに「美」でした。西本宮と東本宮の間には多くの末社があり、さすがは「大社」です。西本宮と東本宮は独特の建築様式で、ともに国宝に指定されています。参拝している人は少なく、静かでいい雰囲気の神社でした。八郎はその後「唐崎の大松」を見物し、「白川越」で京へ戻っています。「白川越」とは別名「山中越」。坂本と大津の間にある滋賀里から京都の白川へ至る道です。平安時代からある道のようで、現在も京都と大津を結ぶ主要なルートの一つです。さすがにここを歩いて帰る気にはなれなかったので、京阪で浜大津まで出て、そこから地下鉄経由で三条に戻ってきました。
(C) MOTOKO