和歌山
2004/01/11(SUN)
京都や大阪へは1.5ヶ月に1回くらいのペースで行っていますが、その他の関西の都市にはあまり行く機会がありません。中でも、この和歌山は、大学4年の夏にちょっと行っただけでまともに観光したことがありませんでした。この日は大阪で地球ゴージャスFCイベントがあるので、その前に和歌山へ行ってみることにしました。
関空から南海で泉佐野まで行き、和歌山行きの特急に乗り換えました。関空からだと40分ほどで和歌山市駅まで行けます。和歌山市駅からバスに乗り、県庁前へ。和歌山の主な観光スポットは、このあたりに集中しています。バス停の前には和歌山城のお堀がありますが、城は後でゆっくり楽しむことにして、まずは県立博物館へ。その途中、馬に乗った武士の銅像を発見しました。和歌山、馬、武士…といえば、徳川吉宗。予想通り、暴れん坊将軍の銅像でした(笑)しかし、松平健をモデルにしている訳ではないのであまり男前ではありませんでした(^^;
県立博物館は、映像や音楽、照明効果が凝っていてかなりモダンな雰囲気でした。展示ケースの前にはタッチパネル式の案内画面があり、展示史料に関する情報を手軽に引き出せるのが便利です。主な展示は1階ですが、2階には熊野古道の復元や資料コーナーがありました。
博物館の向かいには小高い丘があり、その上には神社があります。そこには時鐘堂という鐘楼があるので見学に行こうと思いましたが、博物館側からは入れませんでした。お城の方から行くと、長い階段を上らなければならないので、とりあえずやめておきました(^^;次は、お城の近くにあるという岡公園を目指しました。ここは幕末当時、陸奥宗光の旧宅があったので銅像が建てられています。公園を探していると、刺田比古神社という神社をみつけました。ここは代々和歌山藩主の守り神となってきた神社で、ここの神主が吉宗の「拾い親」となったことから開運の御利益があると言われています。社殿は新しいですが、1000年以上の歴史のある神社だそうです。
うろうろしつつ、岡公園に到着。駐車場の奥にある陸奥の銅像も、無事に発見できました。陸奥宗光は神戸の海軍繰練所に学び、そこで知り合った坂本龍馬が作った亀山社中にも参加。のちに海援隊隊士となり、龍馬の暗殺後は海援隊の中心人物として活躍しました。明治以降は政治犯として獄につながれたこともありましたが、後に外務大臣となり清国との条約を締結。その外交手腕の鋭さから「カミソリ外相」とも呼ばれました。しかし、幕末期の陸奥は「嘘つき小次郎」と揶揄されていた変わり者。小生意気で、ちょっとひねくれた性格ですが、愛嬌があって憎めません。龍さんもそんな陸奥のことをとてもかわいがっていました。この岡公園にある銅像は、そんな陸奥の性格を表すかのように…台座の右端にちょこんと乗っています。左側には特に何かがあったわけでもなく、はじめから右端に建てられていたようです。あまりにも陸奥らしくて、笑ってしまいました。
陸奥の銅像を背にすると、目の前は和歌山城です。この日はちょうど、出初め式に当たっていたようで、お堀で放水が行われていました。放水にもいろいろな種類があり、しばし見学しました。ゆるい坂を登っていくと、天守閣が見えてきました。和歌山城の天守閣は国宝に指定されていましたが、第二次大戦で消失。現在の天守閣は、昭和33年に再建されたものです。内部には、和歌山城と紀州徳川家に関する資料を中心にした展示がありました。天守閣の最上階へ登ると、和歌山港や和歌浦港、和歌山の街並みを一望できました。天気が良かったので、気持ちよかったです。
天守閣の見学後は、城内をぶらぶらと散策しながら県庁前バス停まで戻りました。和歌山市駅に戻る前、最後に立ち寄ったのは勝海舟寓居跡。和歌山市駅前の商店街が切れたところの十字路に、ひっそりと石碑が建っています。勝がここに滞在したのは、軍艦奉行だった1863年。加太に砲台を建設する際、坂本龍馬とともにここから建設地まで通っていたそうです。
和歌山市駅でなんば行きの特急に乗り、そのままホテルに直行しました。この日のFCイベントは最終回だったため、前日の東京でのイベントより1時間近く長かったです。終演後は友達と法善寺横町へ。毎回、大阪のディープなところへ連れて行ってもらっていますが、今回もこてこての大阪な雰囲気を満喫してきました(笑)
(C) MOTOKO