萩
2002/4/13(SAT)
全日空の「超割」を利用した長距離の旅行はすっかり定番になっていますが、今回は萩と下関へ出掛けました。ちょうど4/14は高杉晋作の命日でもあるので、彼の墓前祭である「東行忌」にも参加できれば、と思い、まずは先に萩へ行くことにしました。
始発便で山口宇部空港へ。バスで小郡駅まで行き、東萩駅行きのバスに乗り換えました。萩に着いたのは11時ちょっと前です。天気もよかったので、レンタサイクルを借り、早速出発です。15:47発の特急「あさかぜ」で下関まで向かう予定なので、5時間近くの余裕があります。とりあえずは、体力のあるうちに松陰先生誕生地へ。松陰神社を通り過ぎ、玉木文之進旧宅の前の坂道を上ると、萩の街並みを一望できます。松陰先生の銅像や、晋作草庵跡の碑を見た後は、東光寺上の墓地へ。松陰先生や晋作の墓参をし、坂を下りました。
松陰神社へ戻る途中には、伊藤博文旧宅があります。最近、この旧宅に隣接する形で、伊藤博文別邸が移築されてきました。この別邸は東京の大井町にあったものを、維持管理の都合で取り壊すことになったので萩市が貰い受けることになったとのこと。桧の一枚板を使った天井、和風のシャンデリアなどぜいたくな内装が印象的です。
そして、松陰神社へ。松下村塾や遺墨館を見学しました。遺墨館では、萩市内の小学校で道徳の教材に使われている「松陰読本」という冊子を購入しました。松陰先生の人生についてコンパクトにまとめられて、わかりやすい内容です。
まだ時間はたっぷりあるので、史跡を探しながら萩の町をぐるっとまわることにしました。松陰神社から松本川を渡り、少し横道を入ったところには、周布政之助邸跡と、入江九一・野村靖邸跡が向かい合うようにあります。入江九一は、晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿と並び「村塾四天王」と評されましたが、蛤御門の変で久坂とともに戦死しています。弟の野村靖は明治になって子爵となり、東京の松陰神社に、松陰先生の墓所の一段低いところに葬られました。吉田稔麿や伊藤博文と同じく、家から近いところにある村塾へ、熱心に通っていたであろう姿が想像できました。
さらに自転車を走らせて明倫館へ。現在も使用されいる遺構などを見学し、菊屋横町方面へ。しかし、この辺りの散策は最後にゆっくりしたいと思ったので、進行方向を変え、久坂邸跡に行きました。ちょうどツツジがみごろで、とてもきれいでした(^^)
そこから走ること数分。堀内の鍵曲に差しかかると、たわわに実った夏みかんが、土塀の上からその姿をのぞかせています。萩の観光パンフレットに出てきそうな風景そのままでした。
さらに進むと指月公園です。例年ならまだ桜が楽しめる時期ですが、残念ながら今年は見ごろを過ぎてしまいました。なので、公園には立ち寄らずに砂浜沿いの道を進みながら菊屋横町へ。晋作の生家と青木周弼旧宅、桂小五郎旧宅を見学しました。
そろそろ時間がなくなってきたので、東萩駅へ。途中、商店街や野山獄・岩倉獄を見てきました。藍場川沿いの散策などはできませんでしたが、だいたい萩の町を効率的にまわれたと思います。特急の待ち時間に、東萩駅前の萩ブルワリーで地ビールの「村塾」維新の三傑バージョンを自宅へ送り、駅へ。長門市あたりまでは車窓の日本海の眺めを楽しんでいましたが、疲れのためうとうとしてしまい、気づくと下関の桜山招魂場が見えていました(^^;
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