HOME > 諸国漫遊記 > 旅行記(中国) > 萩
テーマ:幕末、その他


2005/07/24(SUN)

 下関から萩へ行くのはなかなか大変ですが、萩博物館で松陰先生の特別展が開催されているということで、今回のスケジュールに無理やり組み込んでみました。ツアーでなければ、前日中に博多から小郡まで戻ろうかと思っていたので、下関泊にしておいてよかった…と思いました。在来線で行くとバスの乗り継ぎがうまくいかないので、新下関〜新山口は新幹線を利用。約10分の乗り継ぎで東萩行きの高速バスに乗れました。

 東萩駅到着は12時前。強烈な暑さですが、快晴です。前回のあの雨はレアケースで、やはり私と萩の相性はいいようです♪自転車を借り、出発しました。前回バスを使った時に、意外と近いな…と思っていた萩しーまーとに立ち寄りました。ホテルの朝食にふぐ雑炊があって、それを食べ過ぎてしまったためにここでお昼を取れなかったのが悔やまれます。函館朝市や唐戸市場を小さくしたような市場兼道の駅で、新鮮なメニューは値段もお手頃。今度は必ずここでお昼を食べよう、と思いました。

 すぐ近くには、萩の近代工業化に一役買った萩反射炉があります。反射炉とは鉄を溶かす炉で、現存するのは静岡の韮山とここだけです。小山の真ん中にいきなり現れる煉瓦造りの建物は、建設された当時はかなり目立ったことでしょう。今は草木に覆われ、国の重要文化財として大切に保存されています。

 そこから松陰神社までは10分ほど。今回は遺墨館は見学しませんでした。幽棲旧宅と松下村塾を見学し、遊歩道を通って東光寺へ。久しぶりに拝観してきました。黄檗宗のお寺なので、山門をはじめ建物は中国風のものが多く、全体的に派手な感じです。一方、毛利家歴代藩主が眠る墓所は無数の石灯籠が並び、独特の雰囲気を漂わせています。その墓前を守るのは、幕末時に主に藩に殉じた人々の墓や招魂碑。禁門の変の責任を取って切腹した益田、福原、国司の三家老、長州藩の若き志士達のリーダーとして、彼らの暴走を止められなかった責任を負って自刃した周布政之介らメジャーな名前を多数見ることができます。

 そこから坂を上って松陰先生の誕生地へ。晋作たちのお墓参りも、銅像の見学も欠かせません。誕生地から見える萩の街はまさに絶景でした。東光寺から来たのは初めてでしたが、やはり玉木文之進旧宅の前から上るより、やや楽でした。一気に村塾まで戻り、今度は平安古地区へ。その前にちょっと明倫館にも立ち寄りました。自転車でなければこの辺りの散策は不便です。

 久坂玄瑞誕生地から平安古鍵曲を経て、平安古橋を渡って城下町へ。堀内鍵曲、口羽家住宅など萩らしい風景を楽しみながら自転車を走らすと、指月山はすぐそこです。今回は指月公園には行かず、萩博物館でゆっくりすることにしました。まずは喫茶店で夏蜜柑ソフトのおやつを堪能。バニラソフトに特製夏蜜柑ジャムがかかっていて、おいしかったです。今回のお目当ての特別展は「スティーヴンスンが見た吉田松陰」というタイトルで、「宝島」「ジキル博士とハイド氏」などの作品で知られる英国の作家スティーヴンスンが書いた論述「ヨシダ・トラジロウ」の内容に沿って、松陰先生が下田で密航を企てるも失敗し、萩に送還されて村塾を開くまでのことが関連資料と共に紹介されていました。この論述は、スティーヴンスンと村塾門下生の正木退蔵が英国で出会った偶然から生まれたもので、まだ明治になって間もないころ、しかも海外で松陰先生が評価されていたということは驚きです。非常に面白い特別展でした。晋作の資料室は、前回と同じ「戦」「詩」「孝」「師」の4つのテーマで構成されていました。ちょっと来るのが早すぎたか…と思いましたが、「師」コーナーには「高杉暢夫を送るの序」があるので、これが見られるのがうれしいです。次回は何だろう…と楽しみにしながら帰りました。

 つい1時間半ほど萩博物館で遊んでしまいました。もうあまり時間がないので、菊屋横町に直行して高杉晋作旧宅のみを見学。遅めの時間でしたが、けっこう見学者が多かったです。ここは良くも悪くも、初めて訪れた7年前からほとんど変わっていません。ずっとこのままでいてほしいものです。

 東萩駅に戻り、乗合タクシーで宇部空港に向かいました。かなり飛ばしたお陰か、東萩駅から1時間20分で到着してしまいました。出発の2時間近く前に着いてしまったので、国際線ターミナルにある「おいでませ山口プラザ」を見学したり、お土産を物色したりと時間を持て余してしまいました。もう少し萩で遊べたら…という感じですが、前回に比べれば非常に充実した旅でした。

萩しーまーと 萩反射炉 東光寺
萩しーまーと萩反射炉東光寺



(C) MOTOKO